ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

腰痛だけど日帰りで北関東行った話 日光編

前回で結城市編を終えたので日光編です。

 

今回は長めです。

senri-nchu.hatenablog.com

 

<目次>

 

 

結城駅から小山駅両毛線乗り換え栃木駅へ。

栃木駅

JR改札から東部鉄道改札に向かいます。

今回はJRの『休日おでかけパス』を使っているので栃木駅から東武日光駅までは別途支払います(片道660円)。

東武日光線
東武日光駅

一時間ほど乗って東武日光駅へ到着です。

日光自体は十数年ぶりなので一人でちょっと感動。

東武日光駅

駅に到着したと同時に奥でSLがお見送りされていました。

このSL、東武日光駅下今市駅の20分の距離を走るときはSL大樹「ふたら」、下今市駅鬼怒川温泉駅の間は「ふたら」を除いてSL大樹と呼んでるんですね。

 

SLもしばらく乗ってないしどこかで乗りたい。

SL大樹「ふたら」が出発した様子
東武100形電車

駅前広場には東武鉄道日光軌道線の車両が展示されています。

国鉄日光駅(現JR日光駅)から明知平方面まで運行していました。この車両の行先は明知平駅のひとつ前である馬返駅と出ています。

東武100形電車

神橋前に日光軌道線の線路が架かっていた時の写真。今は撤去済み。

案内板

 

駅前にはバス停がありますがスルーして日光東照宮方面へ徒歩移動。

蒸し暑いしすでに結城市で歩き回ってへとへとなのに徒歩を選ぶ姿勢にビックリ。少しは身体を労わろう。

 

日光市庁舎

徒歩移動の利点の一つ、道中に見所があれば寄り道できるで見つけた旧日光市庁舎です。まぁバス通りなので車内から撮影ぐらいはできるけど。

 

この旧日光市庁舎は明治末期に着工して大正8年(1919)に完成したそうです。

元々はホテルとして開業するも実績がほとんどなく、第二次世界大戦後期の昭和18(1943)に古河電工日光精銅所の工員アパート、戦後すぐは進駐軍の社交場、旧日光町役場本館、昭和29年(1954)に市制移行で日光市となると旧日光市庁舎本館として利用され、割と最近の平成30年(2018)まで行政地として機能していました。

記念公園して再スタートしたのが今年の4月とのことでこれも驚き。

日光市庁舎

案内板
日光物産商会

明治後半の建築。国登録有形文化財に指定。

店内はお土産屋やカフェレストランが入っています。

日光物産商会

この後は遅めのランチへ。普段の史跡巡りでは昼食ケチりがちなのに、観光ぶって前日から気になっていたお店に行きます。

 

日光物産商会の横の坂を登って金谷ホテルに行く道中にあります。

ビーフステーキ専門店みはし

昭和後期創業のビーフステーキ専門店みはしを訪問。

「いつも昼は麵になりがちだし肉食べたいな」、「日光と言えば肉だろう」←?????と脳内会議の結果、日光東照宮近辺で肉料理店を探して営業していました。他のお店は水曜日休業が多くてここが開いていたのは感動。

ステーキハウスみはし|西洋料理 明治の館 - 日光のレストラン

ステーキハウスみはし

2500円のハンバーグ、普通に美味くてスマイル100%になった。

無限に水継ぎ足しされたけど現在進行形で無限徒歩編している身としては良かったです。

100%ビーフハンバーグ
二荒山神橋

二荒山神橋(ふたらさんしんきょう)、ずっと「かみばし」や「しんばし」と呼んでました(国弱)。

昔は将軍や日光例幣使などの高貴な人々しか渡れなかった由緒正しい橋。今は300円でどなたでも渡れます。

二荒山神橋

先述の通りかつては神橋の手前に日光軌道線の橋が架かっていました。

口コミで「300円払うのはアホ」みたいなコメントあって笑った。まぁ縁起良い場所だしカップルや新婚さん向けなのかなとは思った。実際カップルみたいな男女がちょろちょろいたので。

神橋

輪王寺

いよいよ輪王寺境内へ移動。

三仏堂

本堂の三仏堂は東日本で一番大きい木造建築らしい、初知り。

三仏堂
黒門

日光山総本坊「光明院」の正門

光明院は明治初期の火災で大半の建物を焼失したため貴重な遺構です。

黒門

日光東照宮表参道

日光東照宮

石鳥居

元和4年(1618)造営の石鳥居

筑前福岡藩初代藩主黒田長政の奉納。重要文化財

石鳥居
五重塔

江戸前期に若狭小浜藩初代藩主酒井忠勝より寄進。江戸後期に落雷で焼失後、同藩藩主酒井忠進が再建したとのこと。

ちなみに国内の現存五重塔の高さランキングは6位、同率タイで旧寛永寺五重塔仁和寺五重塔があります。

五重塔

東照宮表門から先は有料エリア

券売機のピーピー音がよく行くラーメン屋の発券機と同じで一瞬だけ空間がラーメン屋店内になった。

 

取り出し口の券は誰かの忘れものです。購入中に戻ってきたけど

券売機

入場口の仁王門

表門(仁王門)
神厩舎

見た瞬間「あ、これチャレンジで習ったやつだ」となった有名な三猿以下猿のレリーフがある厩舎です。

三猿
三神庫

東照宮の祭器具や装束などが収められています。

下神庫は撮影し忘れました泣。

上神庫

中神庫
唐銅門

先ほどの黒田長政が寄進した石鳥居が一の鳥居と呼ばれたのに対してこちらは二の鳥居と呼ばれました。

こっちは素材が名前の通り銅で、徳川家光寛永の大造営時に建立されたもの。

唐銅門
陽明門

日光を象徴する建築物。

昨年末から今年の春まで手直し工事が行われていたそうなので見れてよかった~。

陽明門

天井の龍
南蛮鉄灯篭

東照宮造営時に多数の大名家から奉納された灯篭の中で、陸奥仙台藩初代藩主伊達政宗から奉納された一番有名な灯篭。

南蛮由来は灯篭の材料がポルトガル産の鉄を利用したからだとか。

南蛮鉄灯篭

陽明門と廻廊

誰が灯篭を奉納したか刻まれている欄

適当に見てみたけど三州○○城主しか読めない。三河の藩なら吉田、田原、西尾、拳母、岡崎あたりかなぁと思うけどどなたかわかります?

神輿舎
唐門

東照宮の親玉の唐門は豪華絢爛。

他に上野や久能山、仙台などに東照宮の唐門ありますけどまだ上野しか見たことがないのでいつか制覇したいです。

唐門
附・銅燈籠

徳川秀忠娘の和子奉納の燈籠。

和子が幕府の朝廷接近政策の一環で、後水尾天皇中宮となり格式が高い皇室関係者となったことが理由で特別に御本社の近くに設置されているとのことです。

一本燈籠
坂下門

城跡巡りをかじってる者として坂下門は江戸城を連想しました。

この門より先は奥の院と呼ばれる当時は聖域中の聖域で、在職中の将軍以外入ることのできない禁足地なので通常は不明門として機能していました。

 

ここを通るときは徳川将軍になりきろう。

坂下門

奥の院までの

奥社銅神庫

狛犬

東照大権現の扁額の文字は後水尾天皇の御宸筆を象ったもの。

奥社鳥居

奥社拝殿
鋳抜門

寛永13年(1636)創建、一度倒壊し慶安3年(1650)に再建されました。

鋳抜門(いぬきもん)
奥社宝塔

創建が元和8年(1628)の言わずと知れた徳川家康のお墓。

家康が久能山から日光に遺骨を移すよう命じたのは有名な話ですね。ただ、実際にこの宝塔内の遺骨を調査したことがないと言われていて、本当に家康が眠っているのかは不明らしいです。

ちなみに創建当初は宝塔は木造でしたが、徳川綱吉治世初期に現在の唐銅製に作り替えたそう。

奥社宝塔
叶杉

宝塔よりこの杉を見るのに時間かけてる人が多い印象。

東照宮建立以前から存在した杉。樹齢は不明らしいけど500年近くはありそうです。

叶杉

一通り東照宮は見たのでそそくさと二荒山神社へ。

戻るとき来た時より観光客増えてて早く来てよかった~の顔つき。

 

二荒山神社

ちょうど小学生の遠足御一行とマッチしたので最速で追い越して到着。

二荒山神社

東照宮よりは人がまばら。

拝殿
二荒山神社本殿

元和5年(1619)に徳川秀忠より寄進された建物。

本殿
化け灯篭

鎌倉時代末期に地元の有力武士鹿沼勝綱より寄進された灯篭です。

化け灯篭

御神木
丸石

願掛け石として江戸時代に奉納された石です。

このご時世だしペタペタ触るものではないと思うけど、こういうのは触れたくなってしまう心理が発動して触りました。

丸石

大国殿

二荒霊泉
恋人杉

オタクなので史跡巡り中にこういう恋愛関係のものを目にすると動揺します。

恋人杉

これ見たら数秒だけ意識が東京都千代田区外神田の秋葉原という場所に飛びました。

も、萌え~~~

二荒山神社で萌えを堪能して徳川家光霊廟へ行きます。

大猷院入口

大猷院

徳川将軍で二番目ぐらいに有名な家光の霊廟。

徳川将軍の霊廟で完全に残っているのはここ日光東照宮と大猷院だけですから貴重です。

都内の寛永寺増上寺にあった霊廟は戦災で建物はほぼ焼失してしまったのが残念です。

仁王門

仁王門に接近

水盤舎
二天門

大猷院の扁額は日光東照宮と同じ後水尾天皇によるものです。

二天門

広目天

持国天

 

裏側から

鼓楼

鐘楼

夜叉門
唐門

唐門前にある灯篭はそれぞれ徳川御三家紀州、水戸、尾張から献上されたものです。

唐門

唐門接近

拝殿内は見学可能ですが撮影は禁止なので写真はありません。内部には家光の甲冑が展示されています。

この拝殿には思い出があり、十数年前にも一度来ているのですが一人拝殿内を舐め回すように見ていたら同行者たちに置いて行かれたという話があります。

今回は一人なのでじ~~くり滞在出来てよかったです。

 

 

なおそばにある奥の院家光墓所に続く皇嘉門の存在を記事書いてるときに知りました。あほです。

龍光院

家光の側近梶定良の位牌が祀られている建物です。

彼は家光の死後に江戸から日光に移住し日光山と大猷院の警護、亡くなった家光に霊膳を捧げるという日課を送っていた人物です。

定良の死後、日光奉行所が創設され引き継がれました。

龍光院

龍光院を後にして日光奉行所跡を見に行きます。

しかしこの時時刻は14:38、自分の中で緊張が走ります。

 

なぜなら次の東武日光駅発の電車が15:09で、これを過ぎると一時間待たないといけないからです。「いやいや、一時間ぐらい周辺で時間をつぶせよ」、そう思う人もいるはずです。

 

 

 

オタクは違います

 

 

 

これを逃すと栃木駅周辺と足利市内散策に時間をさけず、足利は18時スタートの散策になるのはいいとして栃木市内の蔵を見ることを諦める必要があるからです。

一応鬼怒川を渡った先に大久保忠恕 夫人山口氏之墓というのがあったのでそれ目的もありましたが断念。

www.google.co.jp大久保忠恕について

ja.wikipedia.org

 

とりあえず日光奉行所跡を見ます。

日光奉行所

日光奉行所

先ほどの梶定良没後、創設された奉行所の跡地。

明治維新後は奉行所跡地に日光ホテルが建設されました。大正末期に建物が消失するなど事件もありつつ太平洋戦争開戦前の昭和15年(1940)までホテル業が続きました。

昭和15年以降は観光客が減少し経営が困難になったことで古河電工日光精銅所に売却し関係者施設になるなどして、現在は輪王寺関係の施設になっています。

 

40年あたりに古河電工日光精銅所に移譲した例は前述の旧日光市庁舎がありますね。

日光奉行所

ここから駅まで爆走で向かいました。

20分ぐらいで着いたので意外と遠いようで近かった。皆さんはケチらずバスやタクシーで移動したほうが良いと思います。

南栗橋

無事に乗れたので一時間かけて栃木駅に戻ります。

 

日光の感想

今回の日光編、いかがだったでしょうか。

ブログ記事の推奨字数が1500から3000とか書いてあって、普通に4500オーバーしてて長!ってなってます。

ですのでここまで見てくれた方はありがとうございます。

 

 

次は最後の栃木と足利編です。

続き↓

senri-nchu.hatenablog.com