どうも、今日は午前中に某活の面接を終わらせ午後は暇になってしまったので史跡巡り部出動しました。
大和市の史跡は下鶴間界隈に固まっている印象があったのですが、今回はそこまでは行かずに瀬谷区と大和市境界エリアを散策。良い史跡が豊富で感動しました。
<目次>
瀬谷区
相鉄線瀬谷駅起点で史跡巡り開始。まずは南口から徒歩数分の箇所へ移動。
世野の原の鷹見塚
徳川家康の関東入府以降に相模国内に設置された鷹狩指揮所の一つ。江戸中期、徳川綱吉治世下で鷹狩そのものが停止された時を除き幕末まで機能した歴史ある塚です。
明治年代神奈川県庁の門
個人宅にある二代目神奈川県庁の門です。元は明治6年(1873)に横浜税関の門として作られ、その後県庁に移転し大正年間に庁舎建て替えと同時に当時の横浜市会長であった方に譲られ現在地に移築されたとのこと。
川口製糸株式會社跡
大正後期から昭和中期まで稼働していた製糸工場跡地。明治中期から昭和初期まで稼働していた製糸工場群の一つで、最も長く稼働していた工場です。
遺構はないと思っていたら敷地内に工場正門が現存していたのを帰宅後知って悔しい。
日枝社
社周辺に後北条氏の御馬廻衆・久米玄蕃之助の陣屋が設置されていたというのに驚き。
ケヤキは戦中に軍用機の着陸の目安になっていたそう。
瀬谷銀行
前述の製糸工場群の発展とともに当時の瀬谷村に設置された銀行跡地。製糸業とともに村の発展に大きく関わっていました。
大和市
坊之窪石佛神
昭和後期に周年の道路拡張工事のため、該当区域にあった庚申塚や石仏が一ヶ所にまとめられています。
深見諏訪山遺跡
昭和後期に発掘された旧石器・縄文時代草創期の遺跡。
ここから出土した尖頭器は中部山岳地帯で発見されている石器群と類似しているとのこと。
縄文時代草創期の出土物には、爪型文土器・撚糸圧痕文土器・無文土器といった日本の土器出現時期に当てはまる土器群があります。
四万坂古戦場
15世紀中期に扇谷上杉家主宰・太田道灌と深見城主・山田伊賀守経光の間で起きた戦の跡地。
東名高速高架下を抜けて深見城遠望
深見城跡
山田伊賀守経光が城主と伝わる山城。
16世紀中頃には廃城されているそうですが、経光前後の城主や利用用途は諸説あって後北条氏の砦など色々言われています。
虫がひどすぎて軽くしか見れなかった。
空堀の天竺坂
深見神社社号標
寛政3年(1791)に深見村の領主だった坂本重治が造立したという石碑。
ただ重治は江戸中期に徳川綱吉治世で短期間だけ成立していた相模深見藩主だった人物なので、年代にズレが生じています。
深見神社
相模国延喜式内社十三社の一社。古くから地元農民以外に源頼朝や太田道灌、後北条氏などからも信仰されていました。
明治初期に古文書や建物が火災で全焼していて神社の正史は不明のまま、悲しい。
明治29年(1896)建立の石碑
佛伝寺
旗本・坂本家の墓
甲斐武田家に仕えていた坂本貞重から始まり、武田家滅亡後は徳川家に仕えた坂本家の四代重安の弟貞俊、三代貞吉、貞吉の妻三人の墓です。