どうも、今日は横浜市南区にある蒔田城と勝國寺を訪問してきました。
南区は滅多に行かないので井土ヶ谷事件碑以外に史跡があることを今日知りました。史跡は周辺の中区や磯子区が強い印象なので。
武蔵吉良氏とは
元は三河国(愛知県)吉良荘を根拠地としていた清和源氏足利家一門の吉良家。足利一門では将軍家に次いで家格が高く、その他一門とは一線を凌駕していました。三河吉良家は南北朝時代に東条西条両家に分裂し、戦国時代を迎えています。
ちなみに、忠臣蔵で有名な吉良上野介義央は東条三河系統の子孫です。
武蔵吉良家は、南北朝時代初期の東条吉良家当主・吉良経家の息子貞家が奥州管領に任命されて以降、奥州で活動し最終的に戦国時代の成高の代に武蔵世田谷・蒔田に土着したことが所以です。江戸時代以降は一時期蒔田氏と改め、赤穂事件以降に再度復姓しています。
蒔田城
武蔵(蒔田)吉良家当主・吉良頼康が城主だった戦国時代の山城跡
現在の横浜英和学園校地一帯が城跡だと言われています。遺構らしい遺構は残っていない。
蒔田城を領した頼康は関東を支配した後北条氏傘下に降るも、頼康が北条氏綱娘と婚姻関係を持ったことで後北条氏一門化、独自の印判状の使用を許可される、名門出身であったため「蒔田殿・蒔田御所」と呼称されるなど高待遇でした。
縄文〜弥生時代の遺跡
弘明寺方面
蒔田城の廃城年はよくわかっていませんが、豊臣秀吉の小田原征伐による後北条氏滅亡と同時に当主の氏朝が旧領世田谷に隠棲したため、おそらく1590年あたりで廃城か?
勝國寺
室町後期から戦国時代の吉良家当主政忠の供養塔が現存し、周囲には吉良家家臣団の墓も現存しています。
五七桐紋
足利家や吉良家の家紋
境内
戦没者慰霊碑
旧陸軍軍人の碑
いくつか陸軍軍人の名前が刻まれた碑があります。蒔田周辺出身の人達だったのだろうか。