前回の続きです。
四国1日目の移動↓
高松城▶︎屋島▶︎引田城(今回はここまで)▶︎勝瑞城▶︎徳島城▶︎祖谷のかずら橋▶︎丸亀城
【目次】
高松城
江戸時代に讃岐国(香川県)東部を治めた水戸徳川家庶流・高松松平家の城。
元は讃岐全土を治めていた生駒親正によって築城されましたが江戸初期に発生したお家騒動の結果、出羽国矢島(秋田県由利本荘市)に同家が飛ばされてその後釜に徳川頼房長子・松平頼重が入封し明治まで続くことになりました。
かつては城の北側まで海が迫っていましたが、近代以降の開発で現在は海岸から離れています。
二の丸黒鉄門跡
現在は高松城入城口です。
黒鉄門跡から薬園跡方面
江戸期は奥の高松駅は一部が西の丸でほとんどが海、交差点横のビル一帯は高松城薬園、駅ロータリーあたりは中堀でした。
二の丸
二の丸内堀沿いの石垣
三の丸黒鉄門跡
城内に黒鉄門は二箇所ありました。
写真右奥の土塁上が弼櫓跡
二の丸黒鉄門とは塀で繋がっていました。
文櫓跡
鞘橋
本丸と二の丸を渡す唯一の橋
築城当時は屋根などなく"THE・橋"でしたが江戸中期ごろに現在と同じ屋根や側壁があるタイプになったといいます。
なお今の鞘橋は昭和後期の復元物。
石垣の右奥は本丸矩櫓跡
鞘橋から本丸天守台
本丸
本丸虎口
地久櫓跡
天守に匹敵する櫓だったといいます。
本丸から天守台を見る
天守台への階段
階段から二の丸と内堀
本丸を見下ろす
天守台
天守独立式層塔3重4階で地下1階
明治初期の廃城令では残されるも天守そのものの老朽化により明治17年(1884)解体。戦前には藩祖松平頼重を祀る玉藻廟が天守台に建てられるも、平成の天守台解体工事でこれも解体されました。
本丸虎口・中川櫓跡
鞘橋と二の丸方面
内堀と瀬戸内海
三の丸黒鉄門跡・黒鉄櫓跡
巨大な石垣の主張がすごい
三の丸跡披雲閣庭園
三の丸御殿跡地にある庭園
大正年間に当時の高松松平家当主別邸として建設された披雲閣の庭園。建物は高松空襲の被害を受けず現存しています。
披雲閣
新曲輪(北の丸)跡
松平時代に増設された曲輪
ここには重要文化財である月見櫓・水手門・渡櫓がありますが、月見櫓は修復中。
新曲輪の石垣
新曲輪の石垣から瀬戸内海
奥の櫓風の建物は報時鐘
月見櫓・水手門・渡櫓
毎週日曜日は月見櫓と渡櫓は内部見学可能らしい
裏側から接近
新曲輪鹿櫓跡方面
東の丸・米蔵曲輪跡方面
三の丸跡から天守台
披雲閣玄関
三の丸御殿前石垣
かつて三の丸楼門と御殿の間に石垣で造られた出入口が存在
現在は一部分が残ります。
多門櫓跡方面
竜櫓跡
塀or多門櫓跡
多門櫓跡
楼門
近年再建された櫓門
当時の門は高松空襲で焼失してしまいました。
桜の馬場から本丸方面
桜の馬場
東の丸艮櫓・太鼓櫓跡
これも重要文化財指定の江戸時代から現存する櫓
元は東の丸にあった艮櫓を太鼓櫓のあったこの場所には移築している。
太鼓(旭)門跡
桝形内
旭橋から高麗門
艮櫓
東の丸跡
東の丸も新曲輪同様、松平時代に増築された曲輪
要所要所に石垣が残る
東の丸門跡(名称不明)
石垣と気持ちクランク状になっているのが城門の名残か
東の丸東側石垣
奥の櫓台は先ほどの艮櫓が本来あった場所
反対側
写真奥にかつて巽櫓が存在
艮櫓側は海が迫っていた
東の丸城内方面
艮櫓台
新曲輪の鹿櫓跡まで続く石垣
鹿櫓跡側から艮櫓台方面
鹿櫓跡
月見櫓・水手門・渡櫓
武櫓跡
三の丸黒鉄門跡に連結していた櫓
木で見にくいけど奥が廉櫓跡
手打ちうどん 味庄
香川来たらうどんだろってことで朝はうどんをチョイス。
本当はここじゃなくて、近くのめりけんやといううどん屋さんに行く予定だったけどピンポイントで休日だったので味庄さんへ。
ちょうど良いコシのうどんで朝食べるには優しい。
レンタカー出動
1ヶ月ぶりに軽自動車に乗る
元は駅レンタカーで4000円で1日借りる予定だったのを出発6日前まで素で忘れたことで予約不可能に。
泣く泣くニッポンレンタカーで予約(約7000円)。
屋島手前
屋島
平家物語の『扇の的』はこの戦いのエピソードとして有名ですね。
治承・寿永の乱末期の平家は前年の一ノ谷の戦い後、九州は源範頼に、中国地方含む陸地は源義経に制圧されていましたが瀬戸内海の制海権は握っていたので讃岐屋島に拠点を置き源氏へ反撃のチャンスを窺っていました。
ですが、平家は屋島の戦いと讃岐志度合戦に敗北ひ制海権まで剥奪、もうひとつの拠点だった長門国彦島に移動し壇ノ浦で平家一門は最期を迎えることになります。
屋島一帯は17世紀初期まで島として独立していましが、寛永14年(1637)に高松藩主・生駒高俊によって陸続きが行われて現在の姿になりました。
屋嶋城跡・屋島寺
屋島スカイウェイを山上まで登って駐車場へ
当時の石垣や土塁、復元された城壁が同地に残っていますが、時間と場所が山中ということもあり散策は断念。山上エリアはサクッと見回ってきました。
屋嶋城跡案内
見晴台から瀬戸内海と高松市内遠望
源平屋島合戦八百年祭供養碑
屋島寺山門
屋島寺本堂
開基は鑑真と伝わる真言宗御室派寺院
屋島合戦の主要人物たち
道の駅 源平の里むれ・房前公園
休憩で道の駅に立ち寄る。
この道の駅に隣接する房前公園には、大正15年(1926)製造の琴電3000形335号が静態保存されています。
平成18年(2006)まで琴電各線で走行していた歴史ある車両
当初の予定だとここから徳島県阿波市土成町の御所神社(土御門天皇ゆかりの地)に向かって徳島入りでしたが、なんか違うな〜って思って急遽目的地変更。続日本100名城に指定されている引田城へ。
引田城
仙石時代は羽柴秀吉の四国征伐の拠点として利用され、城近辺では羽柴軍と長宗我部軍間で戦闘が起きて城を包囲された秀久は開城し一時的に長宗我部軍に接収されます。
その後は秀吉の四国平定によって再度秀久が入城するもすぐ淡路洲本に移動、後に生駒親正が入るも立地が不便すぎるとし讃岐中央部の聖通寺城→高松城に移りました。
やがて江戸時代に入ると一国一城令で引田城は廃城となり城の役目を完全に終えることになります。
登城口
虻だか蚋だか蜂だか知らないけどそのどれかが大量に飛んでる&暑すぎて大量に汗かくで酷かった
眼下は引田港
狼煙台跡付近
もう道じゃない
本丸天守台石垣
城山展望台
引田鼻灯台
南郭跡
北二の丸
地図見ながら歩いてたけど暑いのと大量の虫にヒリついてたので他の郭や櫓跡とかの場所関係なく撮ってた。これだからこの時期は良くない。
日下家長屋門
引田城を後にして町中進んでたら通過しかけたので止まって撮影
町中には日下家以外にも江戸時代の建物が多く残っています。道が狭すぎるので軽やコンパクトカーじゃないと車移動は難易度やや高いかも。
安戸浜塩田跡
室町中期から明治末期まで塩田として利用されていた塩田跡地
引田城に行く道中にあったので立ち寄った。
引田を後にして次は徳島へ
続きです↓