石見銀山を後にして浜田市方面に向かいます。
既に小雨が降っていたので安全運転運転で浜田市入りを目指します。
続きを読む出雲大社を後にして山陰道等を経由して島根県西部の有名観光地、石見銀山に行きます。
続きを読むどうも、先日は何を思ったのか東京駅から歩いて両国駅まで行きました。特に目的もなかったですが、急に思いついてしました。
伝馬町牢獄跡
現在の十思公園と中央区立十思スクエア一帯に存在した江戸期の牢屋敷跡地
江戸幕府開府から明治初期の市ヶ谷監獄設置までの約270年近く刑務所兼拘置所として機能し、庶民だけでかく武士や僧侶といった上位階層まで収容されていました。

十思公園
中央には宝永8年(1711)鋳造の時の鐘、右には牢屋敷の石垣
時の鐘は元は江戸城西の丸に置かれていましたが、既に将軍職を徳川家光に譲り西の丸に隠居していた徳川秀忠に差し障りがあるため、現在の日本橋本町四丁目に移転していました。
明治4年(1871)に時の鐘が廃止すると、現在地に移されました。

馬車通り
明治18年(1885)に現在の江東区・墨田区の菊川で設立された東京乗合馬車株式会社の馬車が走っていた道
かつては堅川という川が東西に流れ、川沿いに旧千葉街道があり馬車通りはこの街道の一部。現在川は埋め立てられて首都高速7号小松川線が走っています。

前原伊助邸跡
江戸赤穂藩上屋敷で生まれ江戸での浅野家金奉行を務めた彼は商才に恵まれたといい、松の廊下刃傷事件で赤穂藩が改易となると江戸市中で変名を使って商人として日本橋付近で活動。
吉良邸が呉服橋門付近から同地に移転してくると、彼も吉良邸裏門付近に引っ越して吉良家の動向を探っていました。討ち入り後は他のメンバーと同じく切腹しています。

吉良邸裏門跡
元禄15年(1702)の赤穂浪士の討ち入りでは、大石内蔵助の息子大石主税部隊が裏門を木槌で破って侵入しています。この部隊には上記の前原も加わっています。

跡地はマンションになっています。

吉良邸内跡
元禄14年(1701)8月19日以降の吉良邸跡
それまでは江戸城に近い鍛治橋門と呉服橋門付近に上屋敷が置かれていましたが、江戸城内での松の廊下刃傷事件のペナルティで江戸郊外に移されました。
赤穂浪士の討ち入りで吉良上野介が討ち取られ、孫で養子の義周が吉良側の防衛の不手際を咎められ改易されると跡地は様々な幕臣の拝領地となりました。

本所松坂町公園
昭和9年(1934)、地元の有志が吉良邸跡地の一部を買い取って東京市に寄贈して整備された公園
脇門と海鼠塀が復元されています。

吉良上野介義央像

井戸

右下には討ち入りで戦死した吉良側の家臣たちの名が刻まれた石碑

吉良邸表門跡
討ち入り時には大石内蔵助部隊が襲撃し、途中から門そばに梯子を架けて邸内に侵入しました。

本因坊屋敷跡
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕えたとされる囲碁の棋士本因坊算砂一族の屋敷跡地
江戸期には安井家、井上家、林家と合わせて4家が囲碁の家元として幕府から認められ、同家は筆頭とされていました。

現在の靖国通り墨田区緑二丁目西交差点から北斎通り墨田区亀沢2丁目一帯にあった弘前藩上屋敷跡地

本所寿座跡
明治後期から昭和初期に存在した歌舞伎劇場跡

資さんうどん両国店
関東には千葉、神奈川、埼玉、群馬に店舗があり都内には両国と足立区の足立鹿浜店があります。神奈川は相模大野、尻手、湘南台の3店。小田原にも出さないか?
ピークすぎてたのに店外まで待ちがあって撤退。二郎系は1時間でも2時間でも並ぶけど、こういうところは並ばないがち。

国技館方面
大相撲一月場所が開催中でした。


東京駅から両国駅まで歩き疲れたので帰宅。
両国エリアはまだ丹後宮津藩下屋敷跡にある旧安田庭園、回向院、旧陸軍被服廠跡なども行ってないので再放します。
完