ツイ史跡巡り部活動日記

小田原が好きすぎて移住した人。主に史跡や江戸藩邸跡巡りをしています。

どこかにビューーンで青森旅行⑦【野辺地戦争戦死者墓地・大湊・野辺地湊】

青森旅行最終日は弘前から開始。早朝に新青森まで移動して車を拾って下北半島へ大移動します。

 

前回はこちら

 

senri-nchu.hatenablog.com

 

 

快活での起床

今はなき快活モーニング食べ放題のパンとポテト、店舗限定で100円で写真の量で食べれます。

世知辛い世の中。

f:id:senri-nchu:20251126211340j:image

快活CLUB弘前店 対戦ありがとうございました。

f:id:senri-nchu:20251126211402j:image

弘前駅までの道から岩木山方面。

f:id:senri-nchu:20251126211410j:image

弘前駅運輸区跡

2020年まで存在したJR東秋田支社の車両基地

かつては現在の弘前駅城東口一帯に留置線が広がっていましたが、現在は縮小され緑地公園として整備されています。

f:id:senri-nchu:20251126211336j:image
f:id:senri-nchu:20251126211417j:image

転車台方面

f:id:senri-nchu:20251126211306j:image

駅構内の蒸気機関車模型

f:id:senri-nchu:20251126211320j:image

留置線方面

f:id:senri-nchu:20251126211316j:image

奥羽線新青森駅に向かいます。

f:id:senri-nchu:20251126211349j:image
f:id:senri-nchu:20251126211405j:image

新青森駅で車回収。

3時間ぐらいかけて下北半島むつ市に行きます。

f:id:senri-nchu:20251126211328j:image

野辺地戦争戦死者墓地

野辺地戦争は明治元年(1868)9月に展開された戊辰戦争の局地戦

新政府側の弘前藩・黒石藩と奥羽越列藩同盟側の盛岡藩八戸藩で、元は弘前藩盛岡藩と同じ同盟側でしたが敗色が濃くなると脱退し新政府側につくも終始日和見的な態度でした。

f:id:senri-nchu:20251126211414j:image

すでに盛岡藩含め、同盟側の盟主仙台藩米沢藩会津藩などの諸藩は降伏し完全に崩壊していましたが、奥州戦線で主だった実績がなかった弘前藩は実績作りのために、藩との国境だった盛岡藩領野辺地を襲撃して新政府への手柄を建てようとしたという説があります。

f:id:senri-nchu:20251126211353j:image

戦闘は初めは弘前藩が優勢でしたが、やがて盛岡藩が反撃して一日で盛岡藩の勝利となりました。

f:id:senri-nchu:20251126211344j:image

墓所には弘前・黒石藩兵の戦死者が葬られています。

f:id:senri-nchu:20251126211324j:image
f:id:senri-nchu:20251126211358j:image

戦闘が行われた大橋方面。

f:id:senri-nchu:20251126211311j:image

墓所は広い駐車場もあるのでアクセスは良好。

f:id:senri-nchu:20251126211333j:image

道の駅よこはま

青森の横浜

横浜の地名は神奈川県横浜市より歴史があります。

f:id:senri-nchu:20251126211831j:image

北の防人大湊弐番館(旧日本海軍士官官舎)

大正4年(1915)竣工の旧日本海軍大湊要港の士官官舎の1つ

戦後から昭和後期まで海上自衛隊官舎として使われていました。

現在は市の学習交流施設として使われています。

f:id:senri-nchu:20251126211843j:image
f:id:senri-nchu:20251126211801j:image
f:id:senri-nchu:20251126211805j:image

内部は無料で見学可能。

訪問時はイベント前の準備中だったのでそそくさと撤退。

f:id:senri-nchu:20251126212310j:image
f:id:senri-nchu:20251126212157j:image
f:id:senri-nchu:20251126212149j:image

金剛水

釜臥山から流れる伏流水の湧水

明治35年(1902)の海軍大湊水雷団開庁後、建物は釜臥山の安山岩を使っていましたが、岩の集積地付近にあったこの湧水は関係者たちから飲水として重宝していました。

f:id:senri-nchu:20251126211754j:image

戦前にはたびたび同地に訪問された皇族への献上水としても大切にされていました。

f:id:senri-nchu:20251126211813j:image

北の防人大湊 壱番館

こちらは立ち入りが禁止。

f:id:senri-nchu:20251126211855j:image

弐番館と違って保存状態は悪め。

f:id:senri-nchu:20251126211757j:image
f:id:senri-nchu:20251126211809j:image
f:id:senri-nchu:20251126211746j:image

安渡館

旧海軍大湊要港部庁舎をモデルにした建物

f:id:senri-nchu:20251126211826j:image

海上自衛隊大湊基地出入り口

f:id:senri-nchu:20251126211750j:image

基地の出入り口の目の前にある民家

戦前からある?

f:id:senri-nchu:20251126211822j:image

国道338号

f:id:senri-nchu:20251126211835j:image

北洋館

大正5年(1916)竣工の海軍士官の社交場として使われていた洋館

旧海軍や海上自衛隊に関する資料が多く展示されています。平日は休館らしくて終わった。

f:id:senri-nchu:20251126211839j:image

外観だけ。

f:id:senri-nchu:20251126211847j:image

海上自衛隊大湊地方隊総監官舎(旧大湊要港部司令官官舎)

内部は立ち入り禁止。

f:id:senri-nchu:20251126211742j:image

護衛艦ゆうばり主錨

1983〜2010年の除籍まで大湊を母港にしていた護衛艦の主錨

f:id:senri-nchu:20251126212201j:image

安渡館

f:id:senri-nchu:20251126212154j:image
f:id:senri-nchu:20251126212128j:image

内部は当時の雰囲気を再現しています。

f:id:senri-nchu:20251126212131j:image
f:id:senri-nchu:20251126212138j:image
f:id:senri-nchu:20251126212141j:image

海望館

展望です。

f:id:senri-nchu:20251126212134j:image

展望台から大湊湾

f:id:senri-nchu:20251126212123j:image
f:id:senri-nchu:20251126212115j:image

猫ちゃん

f:id:senri-nchu:20251126212146j:image
f:id:senri-nchu:20251126212119j:image

本当は更に北上して大間町に行く予定でしたが、色々調整ミスったので青森市街地に戻るルートで。

f:id:senri-nchu:20251126212556j:image

斗南藩史蹟地 円通寺

明治4年(1871)に斗南藩仮藩庁が設置された寺院

斗南藩戊辰戦争で旧幕府側の会津藩松平家が転封(名目上は改易)して明治2年(1869)に成立した藩で、藩主は会津藩松平容保の息子容大でした。

f:id:senri-nchu:20251126212540j:image

当初は現在の青森県五戸町にあった旧盛岡藩五戸代官所に藩庁が置かれましたが、後にむつ市内の円通寺に移転されました。

石高は表高3万石、内高3万5000石でしたが、会津より極寒不毛の地であったため実際は7000石弱しかないと言われ移住してきた旧会津藩士たちは困窮したといいます。しかし、同年中には廃藩置県で斗南県となり、最終的に他の県と合併して青森県になっています。

f:id:senri-nchu:20251126212548j:image
f:id:senri-nchu:20251126212552j:image

短期間ですが容大は父容保とともに同地で暮らしています。

f:id:senri-nchu:20251126212559j:image

また3時間ぐらいかけて青森市街地に戻ります。

f:id:senri-nchu:20251126212544j:image

復元北前型弁才船「みちのく丸」

日本古来の和船建造技術や北前船の歴史を後世に伝えるために造られた船

2005に16人の船大工の手で完成し、日本海文化交流事業で10道県14港に就航、東日本大震災後には復興支援事業として5都県8港を就航しました。

f:id:senri-nchu:20251126212720j:image

2014年に江戸期に北前船の寄港地として栄えた野辺地町に譲渡され、陸揚げして展示されています。

f:id:senri-nchu:20251126212712j:image

浜町の常夜燈

文政10年(1827)に野辺地の廻船問屋を営んでいた野村治三郎によって建てられた常夜燈

毎年3月〜10月に、夜間に航海する船舶の安全確保のための灯明台としての役目を務めていました。

f:id:senri-nchu:20251126212716j:image

現存する常夜燈では国内最古のものです。

f:id:senri-nchu:20251126212705j:image

f:id:senri-nchu:20251126212724j:image

現在は静かな港町です。

f:id:senri-nchu:20251126212657j:image

平内町の夏泊半島方面。

江戸期は盛岡藩と黒石藩(飛び地)の境界線でした。

f:id:senri-nchu:20251126212708j:image

遠見番所

盛岡藩によって設置された遠見番所跡地

幕命で外国船の監視や沿岸警備をしており、同時に野辺地湊に出入りする商船が他藩への輸出を禁止している荷物の運び出しをしないように番所にて検査する役目もありました。

f:id:senri-nchu:20251126212728j:image

番所跡からの眺め

f:id:senri-nchu:20251126212701j:image

 

この後は青森市街地までノンストップ。

戻ったら残りの時間は青森市街地観光をします。

 

続きはこちら

senri-nchu.hatenablog.com