どうも、年も明けて早1週間。みなさんどうお過ごしでしょうか。
僕は年明け早々新しい職場で色々思うとこもありつつ、己を律しています。そうでもしないと真人間ぶれないし、最悪面倒くさい流れになると思うので。
それはさておき、今日は横須賀方面にドライブがてら史跡巡りしてきました。
追浜
貝山緑地
太平洋戦争末期、現在の追浜工業地区の前身である横須賀海軍航空基地の一角に掘られた貝山地下壕が現存する緑地、砲台跡も現存しているとのこと
同地は旧日本海軍航空隊発祥の地でもあり、設立から終戦時まで国内の海軍航空隊の核部分でした。
行ったら入口封鎖されてて泣きました
猫ちゃんいたので許します。
東京湾第三海堡構造物
明治後期から大正末期にかけて東京湾上に着工された東京湾第三海堡遺構の一部
たった2年だけしか機能せず、平成初期に撤去。その一部がこの場所と市内のしおかぜ公園に移転され見ることが出来ます。今日は後者も行ってます。
毎月第1日曜日に内部見学してるらしい
また明日行け…ってこと!?
烏帽子巖之跡碑
かつて追浜の砂浜に存在した岩の跡地
大正初期に旧日本海軍航空隊の飛行場建設のため消滅してしまった岩を記念し、昭和初期に建てられた碑が残る。
実際に岩があった場所は碑がある場所から北北東150 mの血らしく、現在の日産自動車追浜工場3地区 工業機工場内にあった模様。
ちなみに同敷地内には日本海軍横須賀航空隊格納庫が現存?しており、以前はツアー等で見学出来たとのこと。
GoogleEarthで見たらそれっぽい建築物があるのでまだ解体されていないか。
夏島貝塚・明治憲法起草地記念碑
約1万年前の貝塚跡
かつて海上にあった夏島の貝塚、発掘調査では貝以外に縄文土器も出土しており人間が夏島で生活していた証拠であるそうです。
すぐ横には明治憲法起草地記念碑が建っており、日本の法律誕生地として歴史的な場所です(実際は少しズレた場所が起草地らしい)。
山頂には砲台跡がある
田浦
海上自衛隊第2術科学校
敷地の前身は旧海軍関係施設で、海軍通信教育発祥・海軍水雷学校跡・海上自衛隊発祥の地です。
田浦神明社
裏手の山上に砲台跡があるので見に行こうとしたら入口分からなくて諦めた場所
危うく侵入しかけた
口コミの写真だと道中に階段あったけどどこから行けるんだ。
横須賀中心部
東京湾第三海堡兵舎
先程の追浜にあった物と同じ施設の遺構
坂本龍馬の妻・おりょう終焉の地
近江屋での龍馬暗殺後、おりょうは土佐や京都などを流転し最終的にこの横須賀に居を構えてました。
実際に過ごしていたとされる住宅は市内にあったので、その跡地も行きました。
現在はおりょうの名を冠した葬儀屋が建っている
米ヶ濱砲台跡
明治中頃に実戦用に建設され、大正中頃の関東大震災後は演習砲台として利用されていた砲台
近年まで砲台跡としてはそこまで認知されていなかったそうですが、令和に入ってすぐに行われた公園リニューアルに伴い発掘調査が実施され整備されたとのこと。
一部遺構は埋め立てと切り離しを行い、隣接する自然・人文博物館に展示されているそうです。
小栗忠順・栗本鋤雲像
横須賀の発展に両名が深く関わっていることを記念した銅像です。
坂本龍馬の妻 おりょうの住居跡
おりょうが晩年を過ごした住居跡
特に遺構はなし。
聖徳寺・石造宝篋印塔陽刻板碑
江戸時代初期の慶長15年(1610)造立の相模型板碑
関東地方は武蔵型板碑が主流らしく、県内に現存する相模型板碑はここと鎌倉の長谷寺の2箇所だけという希少物。なお、こちらの板碑は造立時に長谷寺の方を模倣したもので、両寺の関係性を示す遺構でもあるとのこと。
旧海軍横須賀鎮守府司令長官官舎(海上自衛隊 田戸山分庁舎)
通常は非公開で春のみ一般公開。海軍刑務所→横須賀鎮守府司令長官官舎→在日米海軍施設→海上自衛隊施設と色々変遷がありますが、建物は旧海軍時代のまま引き継がれています。
この道も連合艦隊司令長官が通っていたとか激アツ
赤門
江戸時代に建てられた永嶋家所有の赤門
同家は三浦氏の子孫で、後北条氏時代は代官、江戸時代は総名主を務め長屋門を建てることを許可された一族です。現在も門の裏側にお住いがあります。
江戸時代年間から明治末期まで門前に走る道路は、主要道路として機能しており景勝地として位置づけられていました。
おまけ
帰りに通過した金沢八景駅
前クールアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の主人公後藤ひとりの最寄駅。彼女はここから下北沢駅まで通学しています。駅周辺もアニメで描写されていていずれも聖地化している。
まぁ僕の中では六浦藩陣屋と『IDOLY PRIDE』の聖地の印象が強いです。