どうも、先日は重い腰をあげて埼玉県の忍城に行く道中、東京駅に寄ってきました。
実は今更すぎてあれなんですけど、このブログで丸の内の大名屋敷跡の紹介してなかったんですよね。皇居周辺と日比谷とかは投稿してたけど。
皇居訪問の記事はこちら↓
丸の内、末広町、上野は個人的に訪れすぎて行き飽きてしまった三大大名屋敷エリア。
でもこの1年ちょっと、丸の内や末広町(秋葉原)は逆に行かなさ過ぎて寂しかったので久々に来ることが出来て嬉しかったです。
東京駅丸の内北口
東京駅北側に存在した上屋敷
江戸期は上屋敷正面を通るように、写真右手側から駅向かい側の八重洲口方面まで道が通っていました。
写真正面奥、丸の内一丁目交差点右側一帯にあった上屋敷
肥後熊本藩上屋敷・吉田藩上屋敷に挟まれたこの道路も江戸期からほぼ変わりません。
跡地は丸の内北口タクシーバス乗場含む北口一帯
備後福山藩阿部家上屋敷跡
現在の新丸の内ビル一帯
現在の丸の内ビル、郵船ビル一帯
現在の東京駅丸の内駅前広場
言わずと知れたフォトスポット
嫌という程見てきたけど観光客に交じって撮影
どうでもいい情報:斗光さんはいつも東京駅来る時は基本ここ使うらしい
南口は大正10年(1921)に当時の原敬首相が刺殺された事件現場
現在の東京駅南口、JPタワー一帯
KITTE丸の内が入るJPタワー低層部は、昭和6年(1931)竣工の2代目旧東京中央郵便局舎の一部をそのまま残しています。
現在の東京駅南側の線路一帯にあった屋敷
現在の三菱ビル北側一帯
写真中央と奥に見える丸の内仲通りビルと丸の内三井ビルは伊勢長島藩増山家上屋敷跡です。
越前勝山藩小笠原家上屋敷跡
現在の丸の内パークビル一帯
三菱商事や日本製鐵本社が入ってるビルで低層部は商業施設の丸の内ブリックスクエアとなっています。
下野壬生藩鳥居家上屋敷跡
現在の三菱UFJ銀行本店南側一帯
写真奥の線路高架を抜けた先は鍛治橋門跡です。
土佐高知藩山内家上屋敷跡
現在の東京国際フォーラム北側一帯
表門付近
現在の新東京ビル、丸の内二重橋ビル、新有楽町ビル、第一生命日比谷ファースト一帯にあった屋敷
第一生命館南側は屋敷正面にあたり、かつてそこにあった表門は現存し東京国立博物館で見ることが出来ます。
写真は新東京ビルですが。
現在の有楽町ビル一帯
写真は上屋敷表門跡付近
ビッグカメラ上階は読売会館として有楽町よみうりホールや角川シネマ有楽町といった商業施設となっています。
現在の有楽町電気ビル南北館一帯
南町奉行所石垣
中央口駅前広場にある発掘された奉行所の石垣
ここ座ってもいいの?思ったら説明書きに「ベンチなどに活用しています」って書いてあって公認で草
数寄屋橋門跡
現在のルミネ有楽町と西銀座デパート付近にあった江戸城の門
撮影場所あたりが枡形内側。
外堀跡と数寄屋橋跡方面
東急プラザ前から西銀座デパート方面
同じ角度の当時の数寄屋橋門と比較
宝くじの聖地
外堀跡
写真右の都道405号、いわゆる外堀通りの道路は江戸期からあった西紺屋町の道
実際の外堀跡は写真左の東京高速道路。
埋め立てられた外堀で高速除いて主要道路として使われてる区間って赤坂〜虎ノ門だけか。
現在のaune有楽町、線路高架一帯
外堀は写真左のヒューリックスクエア東京方面に曲がっていました。
この後は有楽町駅から東京駅乗り換えで大宮駅へ
いや、そのまま忍城行けよなんですけど、大宮駅近くにとある江戸藩邸からの移築門があることを知って完全にそれ目的なのですがそれは次の投稿でのお楽しみ。
続き↓
大名屋敷跡巡りMAPはこちら