ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

自転車で箱根湯本史跡巡り【神奈川県小田原市・箱根町】

どうも、先日久々に小田原市街地から箱根湯本まで自転車乗って史跡巡りしてきました。

小田原の人間になったのでどれだけ疲れようがすぐ帰れるのはデカいです、本当に。

 

小田原短期大学前から小田原城天守八幡山古郭東曲輪跡

この眺め個人的に好きです。

天神山遺跡案内板

縄文後期の住居跡

遺跡案内板付近から石垣山城方面

国道135号

ここを少し真っ直ぐ行き左側に小田原城早川口遺構があります

箱根板橋駅

ここの近くにあるハローサイクリングで自転車を借りました

石垣山城方面と早川

このまま地球博物館前交差点まで進み、箱根登山鉄道の高架下を潜った先で旧東海道に繋がります。

道なりに行くと明治頃に焼失した紹太寺の総門跡があります

紹太寺

相模小田原藩2代藩主、稲葉正則創建の黄檗宗寺院

元は城下の小田原宿にありましたが、寛文9年(1669)に現在地に移転されました。

境内には江戸初期の小田原藩主だった稲葉氏と正則の祖母にあたる春日局の墓があります。

かつては今以上の大伽藍だったそうですが、幕末の安政年間に起きた火災で縮小してしまいました。

また幕末の鳥羽伏見の戦い戦後、正則系統の稲葉氏当主である山城淀藩主稲葉正邦が謹慎した場所でもあります。

長興山開発供養塔

寺院創建時の関係者たちの供養塔

遊撃隊士の墓

戊辰戦争局地戦、箱根山崎の戦いで戦死した18歳の遊撃隊士の墓

遊撃隊は幕末に結成された幕府の部隊の一つで、戊辰戦争では彰義隊と並んで徹底抗戦派で構成されていました。

メンバーには元上総請西藩主の林忠崇や剣客伊庭八郎などがいました。

山崎の戦いの説明はこの後古戦場に訪れるので後ほど

坂の上から総門跡

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石段

稲葉氏一族の墓所までの正規ルート

今回はあえて右の車道で上まで進みました。

裏大門の道

ここからでも先程の正規ルートに合流できます

急な斜面なので普通の自転車だとしんどい

10分弱上り坂を進んだ先の広場に長興山の枝垂桜があります

見頃は3月下旬から4月頭だそうです

シーズンドンピシャだと無限路駐編や花見モクの人らでやばそうなので回避。

広場

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一吸亭跡

紹太寺2世超宗和尚が師匠の鉄牛禅師を慰めるために建てた建物跡

一吸亭跡から少ししたところから森林に入る道があるので進みます

鉄牛和尚の寿塔

紹太寺開山者の鉄牛和尚の寿塔

貞享4年(1684)に紹太寺二世超宗が鉄牛の還暦を記念して造立した寿塔。

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いくつか巨石があります

森林を抜ける

稲葉氏一族の墓所前にある巨石

稲葉氏一族の墓所

稲葉正則とその祖母、春日局らの墓

春日局の父は明智光秀重臣斎藤利三、母は稲葉一鉄の娘と美濃国の有力者だった春日局

紆余曲折を経て稲葉正成との結婚、そして後の3代将軍徳川家光の乳母として寛永年間の実質的な大奥最高権力者でした。

その彼女の息子正勝は家光の乳兄弟として幕政に参加し老中や相模小田原藩初代藩主を務め、孫の正則も老中や大老と同等の大政参与にまで登りつめました。

周りには稲葉氏近親者が建てた石燈籠が立ち並んでいます(一部アップ)

正則娘の夫の越前大野藩主土井利治

正勝娘の夫駿河田中藩主酒井忠能

正則従兄弟の旗本稲葉正能

御霊屋跡

元は位牌や正則の坐像が納められていた建物があった場所

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戻って箱根方面に行きます

山崎の古戦場

遊撃隊と小田原藩の間で起きた戦いの古戦場

当初は新政府側だった小田原藩は遊撃隊との協力を求められ1度拒否しましたが、上野戦争での彰義隊勝利の誤報が入ったことで藩内佐幕派が勝手に和睦し同地にいた新政府軍の軍監を遊撃隊士が殺害するなど一悶着ありました。

すぐに江戸から彰義隊壊滅の知らせや藩主忠礼の藩内統率もあって新政府側に復帰、小田原藩と決別した遊撃隊は箱根湯本と紹太寺付近の入生田一帯の東海道を封鎖したことで戦闘になりました。

戦闘は小田原藩の勝利で遊撃隊残党は箱根と伊豆を経由し海路で奥州に退却し、箱館戦争に加わることになります。

古戦場と箱根方面

平日午後で一国箱根方面は混む

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前田橋

人1人が通れるぐらいしか幅がない吊り橋

早川

小田原馬車鉄道・電気鉄道前田橋跡

明治中頃から末期まで存在した鉄道の橋跡

場所的に車だと訪問難易度が高いです。

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早雲寺

大永元年(1521)に北条早雲の遺言で息子氏綱が創建したと伝わる臨済宗の寺院

実際の創建はもう10年〜20年後の享禄・天文年間という説もあるそうです。

かつては後北条氏菩提寺として栄えていましたが、豊臣秀吉小田原征伐時に秀吉の仮本営とされた後に焼き払われて一時荒廃。江戸初期に徳川家光によって復興され現在まで存続しています。

総門

梵鐘

鎌倉末期の鋳造

秀吉の石垣山城でも使われたといいます。

本堂

北条五代と室町時代連歌師宗祇の墓

今大路道三の墓

徳川秀忠の侍医として、父の玄鑑と共に今大路(曲直瀬)氏を幕府お抱えの奥医師たちの上席典薬頭にまで登った医師

ちなみに現在の大手町南側から常盤橋・呉服橋の間まで存在した道三堀は、江戸初期に堀の近くに彼らの屋敷があったことが由来。

稲津祇空の墓

江戸中期の俳人

元々は青流という号でしたが早雲寺の宗祇墓前で剃髪をして宗祇から1字取って祇空と改めた人。

晩年に早雲寺に庵を設けて松尾芭蕉の俳風を広める活動をしていました。

宗祇の墓

西行松尾芭蕉と並ぶ3代詩人の1人

室町時代中期に連歌を大成し世に広めた人物。

北条五代の墓

早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直ら後北条氏五代の墓

寛文12年(1672)8月15日、北条氏政の弟氏規の子孫にあたる河内狭山藩主北条氏治が早雲の命日に北条五代の供養塔を建立しました。

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茶屋の道祖神

箱根一里塚跡

旧東海道猿沢の石畳道

江戸期の東海道箱根街道の石畳入口

馬立場跡

江戸期にこの場所を往来していた人々と馬の休憩スポット

往年は現存している石桶に箱根の山から引かれた水を溜めて馬たちの飲み水として利用されていたといいます。

石畳

ほぼ江戸時代のまま

今回は手前まで。

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湯本小学校跡

弥坂沿いにあった明治創立だった小学校

跡地には箱根湯本温泉『玉庭』があります

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箱根温泉発祥の地

天平10年(738)開湯と伝わる箱根温泉発祥地

ここから箱根湯本一帯に温泉が引かれています。

宗祇終焉の地

この付近で宗祇が亡くなったといいます

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天然温泉 和泉

日帰り入浴出来る源泉掛け流し温泉

暇な時行ってもいいかも。

横穴式源泉跡

洞窟は手作業で掘られたもの

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下って箱根湯本駅

国籍問わず無限に人しかいない

箱根登山鉄道モハ1形107号

『えれんなごっそ』内のカフェに併設して展示されています

 

この後はシーシャ行かず大人しく帰宅

温泉地見る度早くオーストリアのバーデン温泉やブルマウ温泉、ガスタイン渓谷で入浴優勝したくなる、本当に。