どうも、先日3月24日に埼玉北西部、寄居町と嵐山町に行ってきました。
目的地は埼玉県内で指定されている日本100名城の鉢形城、続100名城の杉山城と菅谷館の3か所ですが、場所が場所なので疲れた。
川崎駅から南武線で立川へ
立川駅南口
ラーメン二郎立川店
開店10分前着で待ち約20人弱
約30分待ち
小ラーメンニンニクアブラ(750円)
対戦ありがとうございました
江戸期に東国幕領を管轄するために伊豆韮山に置かれた役所の移築門
韮山代官所は江戸中期の一部を除き、江川太郎左衛門家がほぼ世襲していたことでも知られます。
明治以降に柴崎村(立川市柴崎町)名主の中嶋家に譲られた後、現在地に移転されています。
韮山代官所は韮山以外に江戸本所(墨田区)にも屋敷がありましたが、どちらの門かは不明。
満願寺跡
前身は東光院という寺院
江戸初期に小田原の紹太寺創建にも関わった鉄牛和尚の弟子、別峰が医王山満願寺として再興。
一時期は人々の崇敬を受けていましたが幕末には無住状態になってしまい、明治8年(1875)の廃仏毀釈により廃寺となってしまいました。
現在は井戸が現存しています。
八幡神社跡
建長4年(1252)ごろ創建されたという神社跡
現在の立川市南部を支配していた立河氏の氏神だったともいいます。
安土桃山時代と江戸後期には火災に遭い、明治40年(1907)に諏訪神社に遷宮しましたが、平成6年(1994)に2社とも焼失してしまいまいました。
諏訪神社は再建されますがこちらは遷宮していたこともあり消滅しました。
八幡神社大欅
八幡神社創建とほぼ同時期に植えられたという欅
八幡神社本殿跡
武蔵上ノ原駅跡
五日市鉄道の武蔵上ノ原駅があった場所
この線路は青梅短絡線と呼ばれ現在も中央線から青梅線直通車両が走行します。
線路向こう側の芝生が駅舎跡
国立昭和記念公園
昭和54年(1979)に「昭和天皇御在位五十年記念事業」で開園した国営公園
戦前には立川陸軍飛行場といった旧日本陸軍の航空施設や関連工場、戦後は米軍立川飛行場が存在しました。
第一次世界大戦前後で目覚しい発展を遂げた航空産業に目をつけた政府や軍部は、東京近郊での飛行場建設地の条件に合った場所を探し、合致したのが立川でした。
その後、一時は軍民共用飛行場として利用されましたが、昭和8年(1933)から戦中にかけては陸軍専用地に変化し陸軍航空部隊の中心部・軍都として発展しました。
皇居二重橋(鉄橋)飾電燈及高欄
明治21年(1888)以降、二重橋の奥側の橋にあった電燈と高欄
全4基あったうちの1基で、博物館明治村にもう1基現存しています。
なお江戸期の橋の名称は西の丸下乗橋で、当時は橋の構造の関係で本来の意味での二重橋でした。
皇居正門石橋飾電燈
当時は全6基あり、残りは江戸東京たてもの園・博物館明治村・皇居東御苑(江戸城二の丸跡)・東京電力電気の史料館にあります。あと1基は不明。
こちらは江戸期の名称は西の丸大手門。
立川北駅方面
飛行第五大隊・連隊格納庫跡
多摩モノレール立川北駅から高松駅間のモノレール沿いに存在した陸軍飛行戦隊の施設
飛行第五連隊正門跡付近
18切符シーズンだからか、地元の人以外に高崎方面抜けそうな乗り鉄っぽい人もいました。
寄居駅はのんびりホリデーパスの最北西駅、ちなみに小田原駅は最南東駅。やるな。
写真中央は藤田氏の居城、花園城跡。
藤田氏は室町時代は山内上杉氏の重臣でしたが、戦国時代に入り関東に後北条氏が進出すると傘下に与しました。
大福御前自刃の地
彼女は藤田康邦の娘で、氏邦が泰邦の養子になった後に嫁ぎました。
通説だと、小田原征伐の鉢形城攻防戦で氏邦が降伏、彼が城攻めの大将だった前田利家の元に行くのと前後して近隣の正龍寺で剃髪。将来に不安を感じ自害したといいます。
実際は諸説あってよく分かってないらしい。
正龍寺
藤田氏菩提寺として享禄5年/天文元年(1532)に創建された曹洞宗の寺院
北条氏邦夫妻と藤田康邦夫妻の墓が現存しています。
北条氏邦夫妻墓
藤田康邦夫妻墓
墓の前から鉢形城方面
分かりにくいですが写真中央やや左側の森林付近。
荒井と左は鉢形城跡
鉢形城跡
室町後期に長尾氏が築城、戦国時代に北条氏邦によって拡張された平城
後北条氏の北関東支配の拠点、西の甲斐武田氏との睨み合いの最前線として戦略上重要な役割を担っていました。
荒川の断崖にあるように、自然の要害として機能し防衛戦に特化する縄張りになっています。
笹曲輪跡
交差点もかつての曲輪内
笹曲輪跡には鉢形城の模型があります。
本曲輪(御殿下曲輪)を囲っていた石垣
伝御殿下曲輪
御殿曲輪跡
主郭跡
主郭跡から御殿曲輪跡方面
本曲輪跡から二の曲輪跡方面
主郭・御殿曲輪空堀
この日コスプレイベントやっててイケメンキャラのコスプレさんが沢山いました。
本曲輪西側土塁
馬出跡と外曲輪跡方面
二の曲輪障子堀
後北条氏築城特有の障子堀
鉢形城にも障子堀はありますが保存のため全貌は見えません。
城山稲荷神社
馬出から二の曲輪空堀土塁
馬出跡
秩父曲輪跡
鉢形城三の曲輪の一部
曲輪名は北条氏邦の重臣、秩父孫次郎が守っていたことに由来し、主に宴会や歌会といった催事を行っていたとされています。
石組井戸
復元建物
池跡
石積土塁
石組排水溝
復元された四脚門
秩父曲輪側から
虎口とやぐら跡
諏訪曲輪跡
八高線線路沿いを歩きます
三の曲輪跡
逸見曲輪跡
逸見曲輪空堀
大光寺曲輪跡
水堀・弁天社跡
大門?跡付近
深沢川横の土塁
鉢形城歴史館
ここは外曲輪跡
外曲輪土塁
水堀跡
氏邦桜
訪問時はまだこれからという感じでした。
杉山城と菅谷館編↓