どうも、先日は毎月恒例の小田原訪問してきました。
こんな暑い日に歩き回るのもアホらしいですけど、まだ小田原城総構の遺構で見落としていた場所があったので散策してきました。
先月来た時よりはそこまで人いなかった
北条香沼姫墓
香沼姫(かぬまひめ)は北条氏綱の孫娘にあたる人物
10年ほど前までは氏綱の娘という説が有力だったそうですが、現在は女系の孫娘というのが有力とのこと。
墓周辺はかつて香沼姫の屋敷がありました
アクセスは小田原駅北口から城山三丁目方面に10分程度歩いた住宅街の中
近くには後北条氏時代の小田原城曲輪跡があるのでセットで見てみるのも良し
百姓曲輪跡
2015年頃に宅地開発により消滅した曲輪
ここも戦国期小田原城に見られる張り出し状の曲輪であったといいます。
写真の入谷津公園が曲輪境界線
公園横の駐車場から張り出し部分跡を見る
このアングルだとコの字を反対にしたイメージ。写真中央は古墳時代の住居跡とのこと。
土塁
百姓曲輪跡林道
この雑木林を抜けると総構山ノ神堀切のある場所に繋がります
なお、立ち入り禁止等の案内はありませんでしたが私有地っぽいので引き返して大回りで向かうことにしました。暑いけど
総構山ノ神台西付近
岐れ路中央部と右手農道(江戸期から存在)が堀切跡
左手道路を進むと山ノ神堀切に行きます。
総構山ノ神台西堀切
畑沿いに堀跡が見られます
ちなみに、小田原征伐時にはこの付近に北条氏政の弟、北条氏光が布陣していました。
山ノ神堀切
小田原城北部の谷津丘陵を分断している堀切
かつてはもう少し堀底が深かったようです。
奥に進むと総構の堀切に繋がります
どちらも開発から免れた土塁が綺麗に現存・整備されています。感謝
堀切を反対側から見る
総構稲荷森
山ノ神堀切から数分歩くと総構稲荷森の案内板が見えるので路地を進むとあります
地形に沿った総構の堀と土塁がほぼ当時のまま残っています。
稲荷森を後にして軽トラ1台がギリギリ通れる農道を通過
総構小峯御鐘ノ台大堀切西堀
3本の堀で構築された総構遺構の1つ
西堀と中堀は豊臣秀吉の小田原征伐時に北条氏政・氏直が増築、東堀は永禄年間(1560年代)の上杉謙信・武田信玄の小田原侵攻を受けて、北条氏康が三の丸防衛を強化するために設けた堀です。
畑に沿っている土塁
西堀
西堀は一部は埋め立てられていますが露出箇所は綺麗に整備されています
堀底から内側を見る
堀を進むと総構堀切に繋がります
総構堀切は一部分のみ露出。なおこれより奥は私有地なので立ち入りは控えるのがベスト。
中堀
堀部分は道路になっていますが土塁は現存
道路そのものは堀に従って作られているのでほぼ堀みたいもの
総構香林寺西土塁
秀吉の小田原征伐直前に小田原城拡張の一環で設けられた大外郭の区域内にある土塁
なお香林寺は土塁付近にはなく、土塁から徒歩10分程度の場所にあります。
土塁へのアクセスは、小峰御鐘ノ台大堀切中堀から小田原市立城南中学校グラウンドに抜けて右折し徒歩五分程度。現地には案内板はありません。
大外郭土塁・堀
こちらも天正18年(1590)に増設された丘陵部総構の遺構
堀はこの森の中
草木の少ない冬頃になれば堀が見えると思う。
遺構目印はカトリック墓地手前
総構水之尾口櫓台
総構最北西部に位置する櫓台跡
カトリック墓地沿いに進むとあります。
景色が良い
小田原征伐で山内一豊、堀尾吉晴、羽柴秀次、中村一氏が布陣していた方面
ここから小峯御鐘ノ台大堀切まで戻ります
3つの堀切への岐れ路
上が西堀、中央が中堀、立っている場所が東堀への入口
総構小峯御鐘ノ台大堀切東堀最北部
東堀の説明は前述の通りで、小峯御鐘ノ台大堀切に残る3つの堀で最も古く長さも随一
V字の薬研堀
中堀から東堀に連結していた部分
画像中央地点
奥には横矢掛り
高さのある土塁
東堀南端部
本来はさらに相洋中学校グラウンド(閑院宮別邸跡)の西側を沿うように堀が続いていましたが現在はここで止まっています。
三の丸外郭新堀土塁
天正後期には存在していた三の丸の西側防衛に特化した堀と土塁
昨年来た時は時間外で来れなかったのでようやくリベンジ達成。開演時間は10時~15時と割と短いので注意。
昨年来た時の記事↓
内部は綺麗に整備されています
ここから下ると江戸期の小田原城本丸方面に出れます
現在のJRや箱根登山鉄道の線路で消滅していますが間にも空堀がありました。
小田原城天守
駅周辺と同じくそこまで混んでなかった
あと外国人観光客のツアー集団がいて良いね!ってなった(小学生の日記)
散策の締めはシーシャ
今回で小田原市中心部の未訪問史跡は小田原城八幡山古郭周辺のみとなったので、来月に箱根口と幸田口など過去行ったけど写真がない場所の再訪問と合わせて散策してきます。
小田原城の総構や曲輪全てを制覇したらまとめた記事を出そうと思いますのでお楽しみに。
ではまた