ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

春の三嶋大社と三島市内史跡巡り【静岡県三島市】

どうも、先日静岡は三島市内に行ってきました。

生まれてこの方、三島市は通過しかしたことが無い人生だったので史跡開拓目的で訪問しました。神奈川県西部移住民としては沼津と並んで訪問しやすい静岡地域かと思います。熱海?それはおひとり様だと悲しくなるので無いものとする。

 

三島駅

実は初めての下車。

沼津に事業所がある明電舎の広告

順天堂大学三島キャンパス

大場川

三島陸軍墓地

三島ゆかりの陸軍軍属関係者の墓地跡

現在の三島市文京町一帯は大正後期から戦中まで野戦重砲兵連隊の施設があり軍都として栄えた過去があります。

入口の門柱は当時のまま。周辺に陸軍境界石もいくつかありますが撮影し忘れました。

野戦重砲兵第21大隊忠魂碑

元々あった墓地がどうなったかは不明。

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願成寺

天文年間(1532〜1555)ごろ創建の浄土宗の寺院

平安末期には真言宗の庵があったといい、平治の乱後に伊豆国蛭ヶ小島流罪となった源頼朝三嶋大社で源氏再興参拝するための宿舎として利用したといいます。

樹齢300年を超えるクスノキ

宝鏡院

室町幕府2代将軍足利義詮によって創建された臨済宗の寺院

義詮の墓は京都宝筺院にもありますが三島のこの場所にもあります。

源頼朝鞍掛け石

源頼朝置石

本堂

足利義詮足利政知

政知は室町幕府8代将軍足利義政の兄で初代堀越公方

当時関東で幕府と敵対関係だった鎌倉公方足利成氏の代わりとして鎌倉に派遣されましたが、成氏勢力の妨害等で関東入りが出来ず伊豆国堀越で政務を執りました。

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旧東海道箱根方面

頼朝鞍掛け石

宝鏡院内にある鞍掛け石と一対だった石

経緯は不明ですが交差点傍に移転されています。

日隅神社ケヤキ

樹齢550年のケヤキ

ケヤキのある日隅神社はかつて伊豆国五宮として格式のあった神社でした。

法華寺

曹洞宗の寺院

頼朝が伊豆流罪時の時に写経した『般若心経』を奉納したと伝わります。

北条新三郎氏信墓

祐泉寺墓地にある北条幻庵の息子氏信(綱重)の墓

氏信は小机城主を務め、永禄11年(1568)に甲相駿三国同盟を結んでいた武田氏による今川領駿河侵攻の兆しがあると、北条からの加勢として氏信を蒲原城に入城し守りを固めました。

しかし翌年、川中島の戦い終戦で北方の脅威を払った武田軍は駿河に侵攻、氏信が守る蒲原城は落城し討死してしまいました。

墓地への入口

祐泉寺

永禄10年(1567)に北条氏信開基の臨済宗の寺院

境内は飛鳥奈良時代の市ケ原廃寺に建っており、往年は広大は伽藍だったといいます。

また平安時代伊豆国分尼寺推定地としても位置づけられています。


第六尊天

織田信長第六天魔王を称したことで有名な仏教を守る神様

平安時代には大陸より伝わっていましたが国内に浸透したのは信長の頃。関東にも後北条時代に伝わり、民間レベルに広がったのは家康入府以降になります。

市ケ原廃寺塔心礎

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渡辺漆器

戦前建築のような建物

三嶋大社

伊豆一宮として崇敬を受け続ける古くからの伊豆中心地

諸説あるも「三嶋」の地名の由来は伊豆諸島の尊称「御島」が由来とされています。

源頼家北条政子ゆかりの物品が奉納され、それらは現存しています。

安達藤九郎盛長警固の跡

治承4年(1180)源頼朝が源氏再興の祈願のため三嶋大社に訪れた際、安達盛長が警固していた場所跡

花見シーズンで人集りがすごい。

神池

北条政子勧請の厳島神社

総門から

神門

幕末の慶応3年(1867)再建

金木犀

拝殿

慶応2年(1866)の再建

舞殿

本殿と同年の再建

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伝樋口本陣表門

円明寺に移築されたという三島宿樋口本陣の表門

円明寺

孝行犬の墓

幕末に円明寺本堂の床下に住み着いていたという母犬と5匹の子犬の墓

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三島信用金庫本店

レトロな外観ですが2011年に同信金100周年記念事業で元の外観に似せるように建て替えられた建物。

旧東海道三島宿

東海道五十三次11番目の宿場跡

世古本陣跡

三島宿にあった2つの本陣の1つ

跡地には『グルッぺ本町店』というパン屋さんがあります。

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樋口本陣跡

世吉本陣の反対側にあった三島宿本陣

現在は茶葉販売店『山田園』などが建っています。

鎌倉古道

旧東海道備前

伊豆国庁跡

古代の伊豆国庁跡

民家のブロック塀と地面に石碑が埋まっています。

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源兵衛川

伊豆国分寺

伊豆国分寺の後継寺院

近代まで蓮行寺という名称でしたが、戦後に境内が奈良時代伊豆国分寺跡と推定されると現在の名称に改められました。

本堂下のピロティにある往年の伊豆国分寺伽藍図

七重塔跡

礎石の北側(南側は非現存)や基壇が現存しています。

南門跡付近

奥の住宅が中門跡

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この後駅に戻って帰ろうかと思いましたが、急遽市内でハローサイクリングを借りて清水町経由で沼津市まで行くことにしました。

三島から沼津まで自転車移動したことある人、ぜひ握手しましょう。

 

清水町と沼津編

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