ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

山北町桜並木と河村城址公園【神奈川県山北町】

どうも、いつもは東名高速で通過するだけだった神奈川県山北町

そんな山北町ですが、先日桜と蒸気機関車が有名と知り思わず出動してきました。

 

下曽我

JR東海管轄の在来線で最東端の駅

下曽我駅含む御殿場線は、昭和9年(1934)の丹那トンネル開通前までは東海道本線として機能していました。

山北駅

山北町の中心駅

駅舎は大正13年(1924)の改築。

駅前には戦前建築と思われる建物があります。

山北町健康福祉センター

施設内には「さくらの湯」という入浴施設があります。大人2時間500円で利用できます。

山北鉄道公園

蒸気機関車D52形70号機

昭和19年(1944)製造の貨物用蒸気機関車

最初は広島配属、その後昭和26年(1951)から引退まで御殿場線を走行していました。

引退後は同公園で静態保存され続けましたが、2016年に圧縮空気を動力に動態保存に成功し、国内唯一の稼働するD52形として注目されています。

月一で整備運行がされています。

明治44年鉄道院」の鉄柱

案内板

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三良橋から谷峨駅方面

満開の桜と御殿場線車両がセットで撮影されてる映えスポット。4月中旬だったのと走行車両待つのがしんどくて雰囲気だけ。

山北駅方面

中橋から

河村城址に向かいます。

盛翁寺

河村城

平安末期に現在の山北町一帯を統治していた河村秀高によって築かれた館を起源とする城

河村氏は南北朝時代には南朝側につき、新田義貞の息子義興や脇屋義治らとともに足利軍と城近辺で戦闘が発生しました。

その後は畠山、上杉、大森と城主が変遷し、戦国時代には後北条氏により城の改修が行われるも、豊臣秀吉小田原征伐で落城し廃城となりました。

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茶臼郭跡

小郭との間にある障子堀

河村城の堀には後北条氏特有の障子堀が見られます。

お姫井戸

畝傍堀

畝傍堀と障子堀って同じような形状してますが厳密には≠、たまに同義語として紹介されたりしています。

縦方向に造られているのが畝傍堀、これが横にも造られているのが障子堀。

本城郭

堀と小郭

本城郭と蔵郭間の堀切

蔵郭方面

蔵郭と近藤郭間の障子堀

近藤郭空堀・堅堀跡

展望台から大庭郭と相模湾

丘陵間の開けた平野

海側は小田原市国府津・鴨宮、手前側は南足柄市開成町

相模沼田城付近をアップで撮影

この丘陵の向こう側が小田原城方面。

大庭郭張出と馬違戸間の堀切

馬違戸

現在は河村城址歴史公園駐車場になっています。

この辺りが当時の大手に相当します。

多地屋敷跡

堀底から障子堀

馬出郭

西郭

北郭

北郭張出

城を後にして洒水の滝に向かいます。

夏休みみたいな光景

河村城方面

高瀬橋から酒匂川

みっちゃん食堂

基本毎日10時15時、17時20時でオープンしてる定食屋さんです。

最勝寺

石龕及び卵塔

洒水の滝

酒匂川の支流、滝沢川から流れる名瀑

かながわの景勝50選」「全国名水百選」「日本の滝百選」「かながわ未来遺産100」に選定された滝で古来から相模第一の滝と評されてきました。

2004年の落石事故で一般公開が禁止となっていましたが、2022年から滝壺手前まで見学ルートが整備、一般公開解禁と実に18年越しに訪れることができます。

鎌倉時代には滝壺で文覚上人が100日間の滝行が実施されたと伝わります。

滝には赤橋前まで見学ができます。

三段からなる滝

新設された226段ある観瀑台からの滝

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川村土功之碑

明治初期に刻まれた石碑

江戸時代の山北町について、江戸中期の元禄大地震や宝永富士山噴火といった自然災害や村民の土木事業の記録をまとめた石碑。

 

これで神奈川県内でまだ史跡巡りしたことない場所は南足柄市大井町、松田町の3自治体のみに。南足柄市と松田町はいいとして、大井町は最後になりそうな予感。