前回の続きです↓
3度寝ぐらいして宿から数分のバス停に向かい目的地へ
会津武家屋敷
元々は現在の市内大手町5-3に西郷邸はありましたが明治後に破却、昭和50年代に会津藩の歴史を後世に伝えるべく復元された施設です。他にも県内各所から移築された江戸時代の建物があるので個人的におすすめスポットです。
旧白河藩藩米精米所
当時白河藩で使われていて東北最大の精米所だった建物
家老屋敷
国内でも珍しい復元された家老屋敷
各部屋がそれぞれ忠実に再現していたり、西郷一族の女性たちが自決している場面や会津出身の大山捨松の蠟人形の展示などもあります。
旧中畑陣屋移築書院
現在の福島県西白河郡矢吹町にあった旗本松平氏5000石の陣屋
中畑陣屋は天保年間に代官陣屋として創設、この陣屋書院も同時期に建てられたといいます。
明治維新後に多くの陣屋建物が解体され、旧中畑陣屋も他に漏れず門や長屋などの建物を撤去せざるを得ない状況下で後年まで保存されてきたのはすごいです。
佐々木只三郎の墓
本来の墓は和歌山県和歌山市の紀三井寺境内にありますが、ここのは紀三井寺の墓標を会津出身の有志が譲り受けたものといいます。
会津藩主松平家墓所(院内御廟)
2代保科正経から9代松平容保が眠る会津藩の神式(2代正経のみ仏式)大名墓所
地元の小学生たちがガイドの人から墓の説明を聞いていました。とてもいいね。
8代容敬
神式の墓所は本体となる灯篭や鎮石、巨大な亀形石の墓碑で構成
4代容貞
3代正容
5代容頌
6代容住
7代容衆
9代容保
横には会津松平家の墓があります
2代正経
この後は距離的にここからギリ東山温泉まで行けそうだったので歩いて行きました。
東山温泉
約1300年の歴史を持つ会津の温泉
今回は寄っただけなので次は宿泊しに行きたいです。あと1人温泉地は割とくるものある。
ホテル「向瀧」の前身は会津藩の保養地
東山温泉発祥の源泉と土方歳三湯治の岩風呂
会津藩別荘が発祥の「新滝」
同地には新撰組副局長土方歳三が戦傷を癒すために入浴したという東山温泉源泉の岩風呂があります。
観光案内所(この日は休業)とバス停
ここからバスに乗って会津若松駅へ
七日町駅前
ラーメン二郎 会津若松駅前店
今回の会津旅行最大の目的地
以前来た時は長蛇の列で、一時間並んで只見線乗り換えに間に合わず入口前で撤退した苦々しい思い出がありました。
3年前
今回
小ラーメンニンニク野菜アブラマシ
好きなタイプのヤワ麺とホロホロの豚で到達。
首都圏の二郎と比べると微妙との声もあるけど多分下振れたんだと思う。
会津若松駅
真衣、会津若松駅だよ…
いわき駅
磐城平城
江戸中期以降は安藤氏が藩主を務め、幕末の老中で坂下門外の変で襲撃された安藤信正はこの磐城平藩主でした。城内は土塁や堀、石垣が現存します。
今回滞在時間が30分少々しかなかったので二の丸三の丸は省略での高速散策。
駅北口から本丸方面、左上は本丸三階櫓跡付近
水手郭
内堀
煙硝郭
埋門跡
櫛形門跡
クランクの枡形門跡
塗師櫓跡
枡形内石垣
この石垣の奥に隅図櫓があった
本丸
本丸跡に明治維新後に建てられた仮藩庁や庭園が存在
本丸御殿は戊辰戦争で焼失しましたが、近年の発掘調査で御殿のものと思わしき礎石が見つかったそうです。
撮影時の8月時点では工事中のため本丸立ち入りは出来ません。
中門跡
本丸と大手郭にあった門
大手郭
大手門跡
中堀跡
南側は傾斜から堀の面影を感じる
北側
大手外郭
撮影地点は外郭門跡付近
道路の地形に浮き沈みがあるのはかつての外堀の名残。この道を真っ直ぐ進むと外記郭跡と六間門郭跡方面に繋がります。
南側外堀跡
北側外堀跡
郭内は住宅街
丹後沢公園(内堀跡)
二の丸方面内堀
黒門郭
帰りは常磐線特急課金してしまった。特急さいこー!
以上会津旅行リベンジマッチでした。
言うて阿弥陀寺御三階や西郷頼母屋敷跡、日新館天文台跡とかの跡地系は一部見て回れてませんが、また消化試合で寄れたらいいねレベルなので満足。