ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

リベンジ会津史跡巡り前編【鶴ヶ城・会津若松市】

どうも、8月末にアニサマ三日目を友人と参加した翌日、大宮からそのまま会津に行ってきました。

会津には数年前飯盛山や奥会津の只見には行ってますが市街地は今回が初、あと色々リベンジしたかったことがあるのでこんなタイトルです。

 

大宮駅

ライブ終了後は居酒屋飯

MYGO!!!!で横転、まさかの小倉唯raise回収で横転、内田真礼×オーイシマサヨシのyourself beautifulで笑顔(ギミレボを別日でカバーされてて???)、雨宮天Skyreach回収嬉しい、大トリのオーイシマサヨシで涙でとても楽しかった。

RO-KYU-BU!は開演入場遅れたせいでRolling! Rolling!しか拾えなかったのと虹ヶ咲はColorful Dreams! Colorful Smiles!をやってほしかった。

新白河駅

大宮から始発で東北進行

さいたまスーパーアリーナでクネクネしてオールカラオケからの旅行出来るぐらいはまだ体力ある。

郡山駅

福島県中通りの中部を代表する都市郡山の中心駅


朝ごはんは駅ナカの立ち食いうどん

郡山宿跡

奥州街道会津街道など多くの交通の要衝として栄えてきた郡山宿の跡地

郡山宿を引き継ぐ郡山市は、東北エリアで仙台に次いで二番目の都市圏、県内でも福島市いわき市と合わせてTOP3の都市として現在に至ります。

明治安田生命保険相互会社 郡山支店は郡山宿の本陣跡です。

また今回訪れていませんが、この通り(須賀川二本松線)南側の本町1丁目14の交差点はかつて宿場桝形がありました。当時を偲ばせるものはありませんが。

稲荷館跡(郡山城)

戦国時代年間に三春城主田村氏に仕えた郡山氏の居館跡

天正16年(1588)には既に郡山氏は伊達政宗に下っていましたが、郡山城周辺を狙う蘆名・相馬連合軍の侵攻によって伊達VS蘆名相馬による郡山合戦が起きました。

跡地は特に遺構らしい遺構はありません。

駅に戻って郡山駅から西若松駅へ移動。

西若松駅

数年前に通過はしたことがある駅

会津若松城こと鶴ヶ城までは単純距離でこの駅が近いです。

駅には出発直後の東武鉄道のDL大樹がいました。

対馬館跡

明応元年(1492)に築かれた黒川城主蘆名氏家臣の松本対馬守館跡

敷地の大半は県営団地となっています。

蒲生秀行公廟墓・允殿館跡

宝徳3年(1451)に上記松本氏と同族の松本右馬允通輔の居館跡

現在は敷地内に館薬師堂があり、その一角に蒲生氏郷の息子で会津領主を継いだ秀行の廟所があります。

若松城外郭・南町口遺跡

鶴ヶ城外郭に存在した16の郭門の1つ

この南町口郭門は外掘の一部が現存します。

会津若松城(鶴ヶ城)

蘆名・伊達時代は黒川城と呼ばれ、蒲生時代からは現在の鶴ヶ城と名を改めた城

今残る縄張りは蒲生氏郷、秀行と加藤嘉明、明成によって整備拡張され、復元されている天守閣はこの明成の時代のものです。

幕末の会津戦争では新政府軍に包囲され、ひと月砲撃の嵐に遭うも天守閣等は半壊で済みます。しかし明治維新後に城内の建築物は本丸の「御三階」を除いて全て解体されてしまいました。

天守閣は戦後に外観復元され、2001年に本丸干飯櫓、南走長屋、鉄門が復元。2011年にはそれらの瓦の色が往年の赤色に葺き替えられました。

西出丸

本丸の西側に構える郭

西出丸の石垣と南町通堀、正面櫓台は南西隅櫓跡、左奥は西北櫓跡。

本丸五軒丁堀(牛沼)

内讃岐門跡

かつて枡形門でしたが枡形内の石垣は消滅

西出丸駐車場には漆蔵やろう蔵がありました

西大手門跡

梅坂・西中門跡

帯郭①

本丸西側にある郭跡

今は本丸と一つになっている感があるけど元は個々に独立した郭でした。

雑蔵・兵器蔵跡

上杉謙信公仮廟所跡地

上杉景勝の城主時代に越後からここへ謙信の墓を移したと伝わる場所。

鉄門

帯郭と本丸をつなぐ正門

門の改修も加藤時代にされ、門の造りは木製ではなく鉄製。

会津戦争では、その防衛に優れた門内で指導者の松平容保が指揮を執ったといいます。

帯郭から天守閣を見上げる

本丸

本丸御殿や天守閣があった郭

南走長屋・干飯櫓

天守

城内は会津の歴史を体験出来る歴史博物館

2023年4月にリニューアルされたばかりで展示物や会津縁の人物紹介が詳しくされています。

入城料は大人410円、子供150円

本丸内に復元された茶室麟閣は天守閣と共通券で見学出来ます。

https://www.tsurugajo.com/tsurugajo/

天守閣最上階から本丸御殿跡を見下ろす

復元された天守続櫓・鉄門・南走長屋・干飯櫓

帯郭太鼓門跡の枡形と武者走り

裏門跡と蒲生忠郷時代の石垣

本丸御殿跡

天守閣から干飯櫓までは見学ルート

こういう天守や櫓門が一緒に写ってるアングル好き

御三階跡

本丸内にあった3階4層の実質的な小天守

建物は城内の建物群で唯一現存しており、市内の阿弥陀寺に移築されています。

月見櫓跡

茶壷櫓跡

茶室麟閣

天正19年(1591)、豊臣秀吉の命により切腹した茶人千利休の息子小庵を利休の茶道弟子だった蒲生氏郷が匿い城内に造らせた茶室

茶室そのものは会津戦争後まで残され、明治7年(1874)の鶴ヶ城解体後に城外の森川善兵衛宅に移築保存。平成2年(1990)に元の場所に移築復元されました。中では有料で抹茶を楽しむことが出来ます。

麟閣

帯郭②

廊下橋門跡

裏門(本丸埋門)跡

蒲生時代までは本丸正門として機能

太鼓門跡

太鼓門武者走り

北出丸

寛永16年(1639)、加藤明成が当時北馬場だった場所をより強固な出丸として改修した郭

椿坂(横手坂)

帯郭太鼓門と北出丸の間にある坂

搦手門跡

桝形が現存

追手門跡

こちらも桝形が現存

搦手門も同じく、防衛時は段差になっている大腰掛に兵士が隠れて近づいてきた敵兵を殲滅しやすい作りになっています。北出丸の別名が皆殺し丸の所以か。

ここから城外に出てぐるっと周り三の丸へ。

西北隅櫓(侍物見櫓)跡

東北隅櫓跡

田中玄宰屋敷跡・萱野権兵衛屋敷跡

桜ヶ馬場にあった江戸後期の会津藩家老屋敷跡

中屋敷は現在の会津若松市立第2中、萱野屋敷は会津若松市社会福祉協議会にありました。

萱野屋敷跡

このすぐ奥には明治以降旧若松連隊兵舎が存在(非現存)

中屋敷

三の丸北側

現在の福島県立博物館が建っているあたり一帯

この写真付近はかつて桜ヶ馬場から三の丸に入る埋門がありました。

埋門の土塁

三の丸不明門(小田垣口郭門)跡

伏兵郭

現在はテニスコート

先駆者曰く伏兵郭を囲む土塁上は歩けるらしいです。

伏兵郭と本丸間の内堀

二の丸

米蔵や書物蔵が存在した場所

廊下橋・廊下橋門

帯郭と二の丸を繋ぐ唯一の橋

蒲生時代は屋根付橋として存在し、加藤時代以降は屋根が撤去されたといいます。

二の丸東門跡

かつては枡形になっていて右の土塁側に折れ曲がっていました

二の丸南門跡

二の丸堀

三の丸南側

三の丸御殿跡

三の丸南門跡

外堀跡

小田山城跡・新政府軍砲陣跡遠望

南北朝時代年間に蘆名氏の黒川城詰め城として築かれた山城

幕末の戊辰戦争会津戦争では新政府軍がこの城に陣を張り鶴ヶ城へ砲撃を行い多くの被害を出したといいます。

城跡としての遺構は土塁や堀切、郭跡が整備されています。

恵倫寺

蒲生氏郷が父堅秀の菩提を弔うために創建した寺院

境内には日清日露戦争出征や大正年間に陸軍大将まで登りつめた会津出身の柴五郎や会津藩士の墓があります。

会津領主蘆名家廟所

蘆名氏16代盛氏、17代盛興、18代盛隆の五輪塔が存在

盛氏・盛興親子は蘆名氏の勢力拡大を行い一族の最盛期を誇りました。盛興が跡継ぎを残さず病死すると、盛氏は二階堂氏から盛隆を養子に迎え養父の死後は盛隆が家中を率いました。彼は当時天下統一に最も近かった織田信長に接近したり、対伊達氏の政策を行う中、天正12年(1584)近習に殺害されてしまい佐竹や伊達の介入を招き蘆名氏は没落することになります。

盛興墓

盛氏墓

盛隆墓

御薬園

始まりは蘆名氏10代当主盛久の別邸、そして時は下り会津藩3代藩主松平正容が薬草園として利用していたのを大名庭園として改修した会津松平家の庭園

時間はギリギリだったので見学は止めました。

会津若松市役所本庁舎

昭和12年(1937)完成の会津若松市役所

「コリント式」と呼ばれる古代ローマ建築様式で建てられた貴重な昭和戦前の遺構。

現在は工事中です。

蒲生氏郷公墳墓之地

京都で病死した後、本墓の大徳寺から遺髪や遺骨の一部が五輪塔の下に分骨されているとのこと

氏郷の会津治世は僅か5年でしたが、会津城下町や伝統工芸品の奨励など領主としてかなり有能な人物。もう少し長生きしていたら筑前黒田長政みたいに有力外様として存続、または徳川家康に代わって天下を狙っていたと言われていました。

麺や あくつ

月曜日定休日の飯屋多くて困ってる中オープンしてた麺屋

久々に支那そばを食べた。

シーシャ屋

ちょうどホテルの近くにあったので寄ってみた

味はまぁ普通だった。

ぬりのつじ・鈴善問屋

天保3年(1832)創業の会津塗器の老舗

店舗傍には会津若松出身で外務大臣や首相臨時代理などを務めた伊藤正義の名前が刻まれた石碑があります。

建物は昭和5年(1930)建築で文化財指定を受けています。

ホテルで就寝

本当は泊まらず帰るつもりだったけど、たまたま一室だけお手頃価格のホテルがあったので宿泊しました。

後編はこちらからどうぞ

 

senri-nchu.hatenablog.com