前回の続きです。
四国2日目の移動
丸亀駅→松山駅→松山城→道後温泉→湯築城→大洲城→宇和島城→窪川駅→中村駅
【目次】
車内
伊予大洲駅
乗り換えまで1時間しかなかったのでちょうど駅前待機していたタクシー利用
タクシーなかったらやばかったかもしれない。
タクシーで城内到着
大洲城
創建は鎌倉時代末期、伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城された城
江戸時代は藤堂氏、脇坂氏、加藤氏が藩主を務めた伊予大洲藩の藩庁として明治まで続きました。
明治初期には廃城令で城内の多くの建物は破却されましたが、地元住民の懇願で本丸天守や櫓の一部は存続。明治中頃には老朽化によって天守が解体されるも、残った建物は戦災等の被害を受けず現在まで残り天守も2004年に解体以前の状態で復元されました。高欄櫓、天守、台所櫓
かま櫓跡
暗がり門跡
かつては門内側に石垣があり桝形が形成されていた
かつて石垣があった場所辺りから撮影
往年は写真右のライトがあるところが石段となって本丸につながっていた。
本丸廻り櫓跡
天守
時間の関係上今回は建物内見学していません。アジア人観光客がそこそこいた。
高欄櫓
台所櫓
井戸丸
いい眺め
二の丸北曲輪 鉄砲櫓跡
玉櫓跡
三の丸西側跡方面
写真中央の大洲児童館グラウンドの右上あたりが北西隅櫓跡
井戸丸石垣
二の丸御殿跡
写真右側の石垣上一帯に御殿御殿、手前の車が止まっている住宅あたりは表御殿があった
かつて電柱と木の間には門があった二の丸奥御殿石垣と左側の二の丸表御殿跡
二の丸 下台所
創建は江戸初期の建築物
現存する4基の櫓を除く櫓以外大洲城唯一の建物
櫓下御門(二の丸大手門)跡
内堀を挟んで二の丸と三の丸を繋いでいた櫓門跡
桝形の一部石垣が現存
内堀跡
反対側内堀跡
苧綿櫓
二の丸にあった櫓で唯一現存する櫓
現在の櫓は江戸後期に再建されたもの。二の丸東側沿いに流れる肱川に面しているので、昭和中頃に洪水被害防止のため石垣が2.6mかき上げされています。
肱川と復元された塀
東門跡
正面が外堀跡
外堀跡の大洲郵便局と東門桝形内跡
東門の桝形は塀に挟まれ縦に長かった。
三の丸侍屋敷跡から本丸天守遠望
三の丸南隅櫓
現存する大洲城最古の建築物
外堀沿いに建っている櫓で現在はお殿様公園として無料開放されています。
三の丸松並木跡
かつて三の丸西門から南隅櫓までの沿道に松並木が存在していた
西門跡
三の丸と城外の旧八幡浜街道を繋いでいた櫓門跡
かつて石垣でクランク状だったが今は直線に整備。
江戸期は左の石垣が一部大洲高校側に突き出ていて、近代以降に直線状に積み直されたか。西門のクランクはイメージ石碑付近から石垣際にあった。
大洲高校グラウンド
外堀跡にあり外壁は当時の石垣をそのまま使用している
旧八幡浜街道
江戸年間は町人の城内通行が原則禁止だったので、外堀と西門前を通過する迂回ルートだった。
龍護山曹渓院
山本尚徳邸跡
山本尚徳は江戸後期生まれの大洲藩士
幕末は藩の執政、明治には大参事として大洲の近代化に貢献するも、山本の事業に反発する旧藩士や農民による大洲騒動と呼ばれた大規模一揆を招き責任をとって自決した人物。
肱川橋からお城方面
古い町並みが残る
駅に戻り次の目的地宇和島へ
ちょうど特急宇和海8000系アンパンマン号に乗車
車中もアンパンマン一色
宇和島駅
着いたら小雨で顔変形
電光掲示板のホビートレインは予土線の新幹線もどきと言われる車両です。
駅前は館山駅感がある
宇和島きさいやロード
諸行無常だ
融通会所跡
宇和島藩7代藩主伊達宗紀が藩財政解消のために設立させた融通会所跡
宇和島城黒門櫓跡付近
内堀跡
黒門跡
三の丸御殿跡
外堀跡と三の丸土塁跡
三の丸側の国道56号は内堀、歩道沿いには土塁があった。
宇和島市観光情報センター
御殿風の建物
宇和島城
藤堂氏、伊達氏(明治まで伊達氏)が藩主を務めた伊予宇和島藩の藩庁
石垣や基本的な縄張り築城の達人として名高い藤堂高虎によるもので、当時は城下ギリギリまで海が迫っていたことを活用し無数の抜け道や防衛戦に適した縄張りとなっています。
高虎の今治藩移封後は伊達政宗の長男、伊達秀宗が10万石で入封し幕末には『幕末四賢侯』の1人として名高い8代藩主、伊達宗城がいます。
藩老桑折氏長屋門
元は家老を務めた桑折氏の屋敷内にあった長屋門が戦後の道路拡張に伴い城内に移築されたもの。現在地への移築に伴い長屋門左側は一部削られています。
三の丸石垣
桜門跡・番所跡
かつて城内に入る正規ルートにあった門跡
現在は宇和島郵便局と宇和島バスセンターの一部が建っていて、郵便局側の敷地内には枡櫓跡や月見櫓跡がある。
上から長屋門を見下ろす
井戸丸へ
井戸丸門跡付近
井戸丸跡
三の門跡
御弓櫓跡
二の丸
御算用櫓跡
二の丸から二の門跡・本丸石垣・天守
手前の石垣上は北隅櫓があった
一の門(櫛形門)跡・櫛形門櫓跡
御台所跡
北隅櫓跡
本丸
御鉄砲櫓跡
天守
高虎時代の天守を寛文年間に2代藩主の伊達宗利によって3重3階独立式層塔型に建て替えたもの
戦闘用ではなく外観重視の天守となるも、一部に鉄砲掛けがあり戦闘を想定した造りは見られます。
御休息櫓跡
天守内
宇和島港遠望
雷門跡
藤兵衛丸石垣
長門丸
江戸期は3つの櫓が設置されていました。
土塁かと思ったら貯水池だった
長門丸門跡
式部丸
代右衛門丸石垣
上り立ち門
現存する国内最大級かつ最古の薬医門。
児島惟謙銅像
潮分門跡・潮分隅櫓跡方面
写真中央の交差点に門と櫓があった
外堀跡・搦手門櫓跡
左奥のバルコニーがある家と写真中央の駐車場間の道が櫓跡、駐車場は縦の長さがほぼ外堀と同じ
搦手門跡はこの写真から西側に1つズレた路地にあります。
御蔵跡
追手門跡
宇和島駅 扇形車庫と転車台
宇和島駅のは全国で現存する11箇所の1つで四国唯一残る扇形車庫
昨年2022年にはこれらの建物を更地にする計画が浮上、有志の活動で即時の撤去は免れるも車庫は骨組みを残して一部解体されています。有志のプロジェクトだと将来的にこの旧宇和島機関区を整備して公園やギャラリーとして利用する計画とのことです。
今回道に迷って裏側からしか見れませんでしたがなかなかのもの。
窪川駅
中村宿毛方面への乗り換え30分待
雨降る中、駆け足で近くのドラッグストアとスーパーに駆け込み。中村着いても夜やってる飲食店が無さすぎ&雨なので出歩けないから先に買い出しした。
谷干城 生誕の地
急ぎ足で駅に戻って土佐くろしお鉄道特急あしずり2000系に乗車
中村駅到着の写真は撮ってなかった(雨でそれどころじゃなかった)。
ホテルが駅から5分ちょっとで本当に助かったし大浴場とサウナで癒された。傘貸し出しも感謝。
https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/184394/184394.html
続き↓