前回の続きです↓
四国1日目の移動
高松城▶︎屋島▶︎引田城▶︎勝瑞城▶︎徳島城▶︎祖谷のかずら橋▶︎丸亀城(完)
【目次】
鳴門市ドイツ館
第一次世界大戦で捕虜になったドイツ帝国軍とオーストリア・ハンガリー帝国軍を収容した板東俘虜収容所と彼らと地元の人の交流を記念した博物館
捕虜の大半が元々民間出身ということや日本側の寛大な対応もあって、ドイツ文化やオーストリア・ハンガリー文化が日本に広まる要因に繋がりました。今現在でも根強くドイツ本国と鳴門市は関係が続いています。
今回は長い峠道の運転で参って休憩に入っただけなので見学はせず。この記事書きながらよれば良かったと今年後悔したこと5選にランクイン。
ドイツ館ではドイツビールや限定のお土産が購入出来、周辺も当時の遺構があるみたいだし再訪確定。
勝瑞城・勝瑞館
室町時代後期から安土桃山時代中期まで四国東部(淡路・讃岐・阿波)を治めた細川氏と戦国大名三好氏の居城跡
元は鎌倉時代の阿波国守護の小笠原氏によって同地に守護所が設置され、南北朝時代から細川氏、16世紀中頃には室町幕府の実質支配者となった三好長慶の弟、三好実休が三好支配下四国の拠点としました。その後、三好氏は織田信長の庇護下にありましたが本能寺の変の後、城主だった実休の息子である十河存保は土佐の戦国武将、長宗我部元親の阿波侵攻に破れて勝瑞城は落城。
天正13年(1585)の羽柴秀吉による四国征伐並び新たな阿波領主が蜂須賀氏に代わると、阿波の国政が徳島城に移動したことで勝瑞城の役目は終えることになりました。
徳島城
安土桃山時代後期から明治初期まで阿波を治めた蜂須賀氏の居城
秀吉の四国征伐で功績のあった蜂須賀家政は当初、同国一宮城(徳島市一宮町)に入城するもすぐにこの場所を新たな居城とすべく築城を開始しました。
城内には石垣と庭園、復元された鷲の門があり当時を偲ばせます。
今回は時間の都合上本丸、二の丸、西の丸は見てません。てかここでも山登りはさすがに体力が持たなかった。
三の丸隅櫓跡と水堀
城山の貝塚
水堀挟んで北馬屋跡方面
数寄屋門橋・旗櫓跡
石垣の上に旗櫓が建っていた
数寄屋門入って城内南側
右の石垣を超えると三の丸表庭園
三の丸石垣と堀川
城山の石垣
太鼓櫓跡
望楼型3重4階の太鼓櫓の櫓台が現存
櫓台の左側は道路拡張で削られているらしい。
太鼓門(大手門)跡
徳島城の正門
桝形が綺麗に残っているのと、右の石垣上には昭和初期に移転されてきた日清・日露戦争に参戦した日本海軍駆逐艦追風のマストがあります。
下乗橋から堀川と月見櫓跡(左奥の石垣)を見る
太鼓門正面から
鷲の門
かつて三木曲輪の正門であった鷲の門
明治初期の廃城令では徳島城の建物で唯一残されるも、昭和20年(1945)年の徳島大空襲で焼失。その後44年後の平成元年(1989)に徳島市制100周年を記念して門の規模と位置を少し変更して復元されました。
三の丸御殿跡
今は博物館や庭園があります。
徳島駅
徳島は国内唯一"電車"が走っていない県、そのターミナル駅
そんな徳島駅はJR四国管轄の駅で2番目に利用者が多く、自動改札機を導入している高知駅よりも多い(一位は高松駅、高知駅は五位)。
まぁ四国全体の駅利用客は決して多いわけではないので、高松駅以外は割とどっこいどっこいだったりする。やっぱり車バスが強い。
徳島ラーメン麵王 徳島駅前本店
徳島のソウルフードの徳島ラーメン
ここ最近家系ラーメン食べ過ぎくんになっていたのでたまには豚骨醬油もいいね。
バラ肉と生卵の組み合わせが旨くて感動。対戦ありがとう。
橋から線路を見下ろす。
ここから駐車場に戻りまた車移動。
上坂SA
高速課金して徳島自動車道を西進。たまに出てくる追い越しゾーン以外は一生片側一車線でびびった。
ここでモンエナ注入と徳島土産購入。
吉野川SA
この日一番の睡魔に襲われるし身体バキバキだしで辛かった
大歩危駅
大歩危峡や祖谷のかずら橋観光の起点駅でこの日は外国人がちらほらいた。四国の山奥に来る外国人観光客すごいわねぇ〜(田舎のおばさん)って思った。
まぁ高松や高知から特急1本ならアクセスしやすいし条件は良い方か。
平家屋敷民族資料館
閉館????????さすがに顔変形した
Googleで水曜日18時まで空いてると書いてあったのにこれで泣いた。
祖谷のかずら橋
日本三奇橋の1つ
サルナシと呼ばれるツルを使った吊橋で徳島の有名観光スポット。今回訪れたかずら橋は三好市西祖谷山村善徳ですが、もうひとつ三好市東祖谷菅生にも同様のかずら橋があります。
閉館30分前に行ったら映え映え女子2人組がいて困った。
写真に不審者みたいなやつ映りこんでたら何とかマジックで消しててほしい。
景色は秘境なだけあって良い景観
土日や長期休暇期間はやばそう
琵琶の滝
屋島もしくは壇ノ浦の戦いで死亡した平国盛(教経の別名、平教盛の子)が安徳天皇を奉じて祖谷に潜伏した平家落人伝説の一つが由来の滝
土佐岩原駅
高知県初上陸地
休憩と某位置情報アプリ目的でここに立ち寄る
この時時刻は18:20分ごろ。
レンタカー返却時間は給油時間含めて20時ちょうどで1時間弱で高知徳島県境から香川県丸亀市に移動ミッション。もっと余裕持って移動したほうがいいと思う。
無事丸亀駅近くのガソスタで給油完了。
丸亀駅
返却数分前到着。駐車場に係員さん待機してて切る暇なく車中聴いてたアイカツの『START DASH SENSATION』を大音量で聴かれた。うんうん、それもアイカツだね♪
駅前アーケード街は20時でこれ。泊まったホテルは右に写ってるとこでした。
手打ちうどん 飯田屋
駅周り全然うどん屋やってなくて困ってたらここが営業してて訪問。
肉うどん
ちょっとした飲み屋さん風のお店だったのでお酒も考えたけどこの時うどんしか脳内になくてうどん単品。普通に美味しかったです。
丸亀城
江戸時代に生駒氏、山崎氏、京極氏が治めた讃岐丸亀藩の居城
城の大部分は生駒・山崎時代に築城、改修され、山崎氏改易後は播磨龍野藩から入封した京極高和以下京極氏が明治まで藩主を務めました。
日本一の高さを誇る石垣のてっぺんには現存12天守の一つがそびえたち、夜はライトアップされています。
大手二の門・一の門・天守
いずれも江戸時代から現存する建物
桝形内から大手一の門
大手二の門裏側
玄関先御門(御殿表門)・番所長屋
両建物も江戸時代にあった藩主御殿の遺構
玄関先御門と天守
御殿跡地
搦手門跡
城南側水堀
搦手門側から林道を登って三の丸へ
ここから何枚か暗くてぶれてる写真がありますので注意。
栃の木御門跡付近
搦手口を登ります
延寿閣別館
調べたらこの江戸藩邸は丸亀藩中屋敷(今の東京都港区東麻布二丁目、最寄りは都営大江戸線麻布十番駅と赤羽橋駅、ちぃばす法務局入口バス停)のことを指していました。
生駒坂
二の丸跡
櫓台
京極坂
本丸・天守
独立式層塔型三重三階の天守
現存十二天守の中では最小だが唐破風や千鳥破風が施されています。
姫櫓跡
姫櫓跡
多門櫓跡
盬櫓跡
二の丸大井戸
二の丸櫓台
二の丸搦手
本丸石垣
戌亥櫓跡
戌亥櫓跡から天守
発光する天守と姫櫓の石垣
扇の軍配と天守
三の丸間の道
櫓台跡
月見櫓跡
東櫓台跡
三の丸高石垣
算木積みで築かれた高さ20m以上の石垣
夜のお城散策を終えてホテルで飲むようのお酒を求めてドンキへ。
ホントは朝5時ごろに丸亀城散策だったんですけど結果的に夜で正解だった。
翌日からは鉄道乗り放題切符を使って愛媛と高知へ行きます。
続き↓