ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

曽我の里史跡巡り【神奈川県小田原市】

どうも、小田原市民になって数日経ちました。

一通り片付けが落ち着いたので、以前行くことの出来なかった小田原市曽我に出動。

 

下掘方形居館跡

甲斐武田氏家臣の志村氏の居館跡

居館周りの水堀はほぼ当時のまま現存しています。

こちらは西側水堀。

下堀公民館にある案内板

ほぼ居館の形がそのまま。

東南部の水堀

居館内跡

住宅地化した現在も旧城主の子孫と思われる方のご自宅もあります。

北側水堀

東側水堀

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JR東国府津車両センター

曽我梅林

関東三大梅林の1つ(残りは茨城県水戸市偕楽園・埼玉県越生越生梅林

曽我梅林の歴史は諸説ありますが後北条時代に梅の植林が始まり、江戸初期に大久保氏が栽培の拡大を奨励したと言われています。

2月いっぱいまで梅祭りがやっていたみたいでした。

日曜だから人いたらしんどいのである意味外れてよかった。

梅林にいた飼い猫ちゃん

 

史跡巡りしてるとたまに猫見かけますがここまで人懐っこいのは初めて。不審者顔なのでいつも逃げられるので。

さすが飼い猫なだけある。

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小田原牧場アイス工房

店前から富士山が見えます

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下久保道祖神ほか石造物群

安政5年(1858)の題目塔

弘化3年(1846)の地神講碑

道祖神

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法蓮寺

満功御前の墓

河津祐泰の妻で曽我兄弟の実母満功御前の墓

工藤祐経により夫が殺害された後、出家を考えるも義理の父伊東祐親の説得で曽我祐信に嫁ぎます。

息子たちの仇討ち成功後は、兄弟の菩提を長男十郎の妾だった虎御前とともに弔い続け亡くなりました。

丘陵登り開始

見晴台から富士山と南足柄市方面

小田原市街地方面

天正18年(1590)の4月にタイムリープして小田原征伐中の小田原城下を見たい。

25倍で小田原城天守方面

違ってたら小田原市民辞めます

一本松

六本松跡

曽我山の峠道にあった六本の古松跡

この峠道は鎌倉時代から交通の要衝で、相模西部と鎌倉・箱根・大山それぞれを結ぶ街道が交わっていました。

古くは源頼朝による弟義経追討のために京に進軍する東国軍が通過した、曽我十郎が大磯の虎御前の元に通うために通ったとも言われています。

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大磯の虎御前ゆかりの史跡はこちら↓

senri-nchu.hatenablog.com

 

まだ登ります

手前から二宮町と左奥は大磯町

見にくいけど奥の方に江の島、三浦半島は逗子、葉山、横須賀西部の海岸が見えます。

小田原市街地と真鶴岬方面

忍石方面

曽我兄弟の兄曽我十郎と虎御前が最期の別れ前に腰掛けた石のある場所付近

地図だとこっから抜けるルートだったけど、いやこれ入ったらよろしくないやつだろと断念。奥に農家の人の軽トラも止まってたし。

小田原市HPで調べたら先程の六本松跡の別れ道から行けたらしい。

こんな感じのレールがちょこちょこあった

伝曽我祐信宝篋印塔

曽我兄弟の養父である祐信の墓と伝わる供養塔

祐信は義理の息子たちによる工藤祐経への仇討ち後、頼朝からは不問とされ所領安堵と息子たちの弔いを許されています。

ちなみに小田原梅祭りで行われている流鏑馬は祐信が弓馬の達人だったことが起源と言われています。

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澄禅窟・澄禅和尚供養塔

江戸初期の浄土宗の僧澄禅が修行したという洞窟と供養塔

洞窟方面

看板は年季入ってますが中は管理されています

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鎧の滝・弓張の滝

室町中期に聖護院道興准后や戦国時代に後北条氏家臣が訪れたという滝

滝は上下2段あり現在は下段の弓張の滝を見ることが出来ます。鎧の滝は行けないっぽい。

入口から滝までは何度か小川を飛び越えるのでちょっと危険

橋みたいなのはこれだけしかないです。

幅1mちょいの川を飛び越える遊びしてた子供の頃思い出して大泣きした

花粉症なのにこんな林に入って鼻をやられました

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曽我館跡付近から曽我丘陵方面

曽我城跡

曽我祐信の館跡

館は祐信の実子祐綱が引き継ぎ家も戦国時代まで続きますが、戦国中期に北条氏康により曽我氏は滅亡し城も廃城になってしまいました。

曽我一族郎党の供養塔

戦国時代に滅亡した曽我氏は近代まで供養されることはありませんでしたが、平成初期に曽我兄弟の仇討ち800年記念でようやく供養されました

物見塚古墳

7世紀後半の円墳

周りより若干盛り上がってるのが塚感ある

行き方は曽我丘陵側から来ると写真右の道から入ることになるので左に進みます。

あとは道なり

付近に駐車場は無い(県道72号線にミニストップはある)ので基本来るならバスか徒歩です。

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五郎の沓石

曽我兄弟の弟曽我五郎がこの石の上で踏ん張ったら表面が足型に窪んだという逸話のある石

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城前寺

建久4年(1193)創建の浄土宗の寺院

曽我館の前に建てられたことが寺院名の由来で、曽我兄弟の仇討ち後に兄弟の叔父という宇佐美禅師によって彼らの遺骨を同地に埋葬し寺を建立したといいます。

ちなみにら仇討ち決行日の5月28日当日、兄弟が傘を燃やして松明代わりにしたという話から毎年5月中旬に曽我地区で傘焼き祭りが開催されています。

境内からは縄文後期の住宅遺跡が発掘されています

鬼王兄弟の像

鬼王兄弟は曽我兄弟に仕えた忠臣

弟団三郎の墓は隣接する中井町にあります。

鬼王団三郎の墓がある中井町の史跡巡りはこちら↓

senri-nchu.hatenablog.com

 

曽我兄弟・曽我祐信満功夫妻の墓

曽我一家の墓が揃って境内にあります

墓の下には曽我館の土塁が現存

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宗我神社鳥居

和田屋敷跡

鎌倉幕府初期の御家人和田義盛の屋敷跡と伝わる場所

当時の土塁?らしい

野良猫

近づいたら逃げられた

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上府中公園と小田原球場

このあたりは西大友・東大友と呼ばれ、戦国時代に九州の雄となる大友宗麟を出した豊後大友氏発祥の地

長善寺

建仁2年(1202)大友氏の祖大友能直が建立した曹洞宗の寺院

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大友八幡神社

約4時間強歩き続けました

 

これで小田原市東部の気になる史跡はある程度訪問。

市内でまだ未訪問なのは根府川小田急沿線ぐらいか。

県西部は松田・開成・山北・南足柄・真鶴と基本通過しかしたことない場所だらけですが、逆に訪問しごたえがあるので余裕のある時は詰めていきます。