どうも、新年あけましておめでとうございます。
今日は昼から未訪問だった平塚と歩いて大磯まで行ってきました。
新年最初の史跡巡り目的地が平塚宿跡と大磯宿跡なのはよく分からないですけど、それらの周辺にある史跡も訪れることが出来たので十分満足。
実は初めての下車
紅谷パールロード
平塚七夕祭りの時のメイン通り
番町皿屋敷 お菊塚
江戸中期の怪談話で有名なお菊の塚
お菊は平塚宿役人の娘で平塚出身だったんですね。
旧海軍第二火薬廠引込線跡
平塚駅から旧海軍第二火薬廠(現在の横浜ゴム平塚工場)に続いていた引込線跡
写真の駐輪場あたりが起点でした。
道路の反対側、写真左の建物に接続
ここから一部区間は引込線跡が道路として続いてます
平塚宿江戸見附跡のある交差点奥まで続く
引込線跡の道路終点
ここから先は住宅街や区画整備で引込線跡が消滅しています。
平塚宿跡
東海道五十三次の7番目宿場
小ぶりな宿場ながら古くから八王子道や中原往還が通る交通の要衝でした。
明治以降は軍の工場が建ち並んだことや、大戦末期の平塚空襲によって宿場の面影はほぼ消滅してしまいました。
平塚宿江戸見附跡
復元された見附があります
明治初期の見附古写真と案内板
江戸方面
明治28年(1895)に当時の平塚小学校に蒔かれたというクスノキ
江戸城井戸枠
昭和後期に東京都から贈られた江戸城の井戸枠
数年前に場所が移動したそうで、"江戸城の井戸枠"でGoogleマップかけても実際の場所は異なるので注意。
下記の歌碑とセットで保存されています。
平塚宿脇本陣跡
平塚宿唯一の脇本陣跡
跡地のアパート
平塚宿東組問屋場跡
写真中央付近にあった問屋場跡
平塚宿高札場跡
平塚宿本陣跡
平塚宿の本陣跡
平塚宿西組問屋場跡
跡地は平塚消防団第1分団の建物があります。
平塚宿京方見附跡付近
京方見附は空襲や戦後の区画整備等で正確な場所が不明
凡その場所に見附が復元されています。
平塚八幡宮
戦国時代に武田信玄の小田原侵攻で焼失し荒廃。
豊臣秀吉の小田原征伐後、後北条氏に代わって関東に入封した徳川家康によって手厚く保護されたといいます。
そういえば初詣してなかったのでここでお参り
…はい
明治丗七八年紀念碑・忠魂碑
乃木希典書の日露戦争記念碑と東郷平八郎書の西南戦争、日清戦争、北清事変、日露戦争の英霊を祀る忠魂碑
忠魂碑は4つの戦役に追加で満州事変から太平洋戦争までの戦死者も合祀されているといいます。
平塚八幡宮の神馬
アヒルたち
写真奥の方は相模海軍工廠科学実験部跡地方面
現在の平塚市博物館一帯にありました。
第二海軍火薬廠跡(横浜ゴム本社・平塚工場)
明治後期に元々あった日本火薬製造株式会社の平塚工場を海軍に買収されて建てられた火薬廠の跡地
戦中まで海軍で使用する火薬や爆薬を製造していたため、昭和20年(1945)の平塚空襲の標的となってしまいました。
跡地の横浜ゴム本社の正門門柱は当時の遺構です。
写真左に見切れてるピンクの建物は海軍火薬廠にあった登録有形文化財の洋館
大正元年(1912)の建築で将校クラブ応接室や娯楽室として利用され、戦後に所有者が横浜ゴムに移っても応接室等に利用されましたが維持の関係で解体を申し出。
2004年に同社から平塚市に無償で譲渡され、現在の八幡山公園に移築し保存工事が行われ現在に至ります。
高来神社
創建は神武天皇治世と伝わる神社
実際は668年の高句麗滅亡により、相模国大磯に渡来してきた高麗人による創建が有力だそうな。
裏手の高麗山には高麗山城跡があり、室町中頃の永享の乱では上杉持房、戦国初期には北条早雲、中頃に上杉謙信の小田原侵攻の際に本陣が置かれたという戦略的に重要な山城でした。
城内には堀切が残っているそうです。
大磯宿跡
東海道五十三次の八番目の宿場
街道沿いにある松並木が当時の雰囲気を出しています。
化粧坂
国道一号とは分岐して松並木の方が旧東海道
由来は諸説ありますが江戸期前からこの地名はあったといいます。
化粧井戸
鎌倉初期の曽我兄弟の仇討ちで有名な曽我十郎の恋人、虎御前が使ったという井戸
大磯宿一里塚跡
大磯宿江戸見附跡
延台寺
曽我物語のヒロイン虎御前が曽我兄弟を弔うために建立したという日蓮宗の寺院
虎御石は普段非公開
毎年5月第4日曜日の「虎御石まつり」の時だけ公開されるみたいです。
大磯宿北組問屋場跡
大磯宿小島本陣跡
かつて大磯宿にあった3つの本陣、小島・尾上・石井の小島本陣跡
天保7年(1836)の火災後、石井本陣は消滅しこの小島本陣と尾上本陣の2つは幕末まで続きました。
尾上本陣跡は何故か撮影石碑見つけられず撮影出来ませんでした(多分あると思う)
大磯照ヶ崎海水浴場
海水浴場発祥の地らしい
調べたら大磯より前に岡山が発祥だとか横浜だとか愛知だとか諸説あるそうですが、大磯以外は外国人や日本人でも上流層しか利用出来なかったため、一般向けという意味ではこの大磯が海水浴場の始まりという説もあるとのこと。
原敬別邸跡地
原敬が明治中頃から大正初期まで所有していた別荘跡地
大磯宿南組問屋場跡・新島襄終焉の地
幕末まで南組問屋場、明治以降は百足屋旅館があった場所
大磯宿高札場跡
湘南発祥の地
江戸初期の俳人、崇雪が大磯の地が中国湘江の南方一帯に似ていたため湘南と呼ばれるようになったという伝承の案内板
大磯ってギリギリ湘南のイメージだったけど大元だったんですね。
鴫立庵
湘南の名付け親、崇雪が開いた俳諧道場
江戸初期から現存し、京都落柿舍・滋賀無名庵と合わせて日本三大俳諧道場と呼ばれています。
大磯宿上方見附跡
旧山縣有朋邸跡
現在は大磯中学校があります
明治記念大磯邸園
明治を代表する人物、伊藤博文・陸奥宗光・大隈重信が住んでいた邸宅と庭園がある施設
2018年秋冬に特別公開されただけで基本的に公開はしていなかったそうですが、令和に入ってから大磯町の地域活性化や邸宅の保存活動等を含めて整備が進められていました。
2024年1月現在、建物は全て工場中ですが施設内庭園には無料で入れます。
旧大隈重信邸・旧古河邸
庭園
休憩所
2020年東京オリンピックの会場を設計した人が手がけたって聞いた
昔実家から小田原までママチャリで下の歩道走ってた時ちょうどこの辺でパンクした記憶が蘇った
バラ園
季節外れの気温でバラの見頃になってます
旧陸奥宗光邸・旧古河別邸
五右衛門風呂
旧伊藤博文別邸・旧李王家別邸
統監道
国道一号側から
島崎藤村邸
文豪・島崎藤村が晩年をすごした邸宅
邸宅内は無料で見学可能です。
邸宅内
当時の古写真いいね!
富士見橋跡
関東大震災で倒壊後に建てられた3代目駅舎
大磯駅からどこに向かうか、そうです、いつもの場所です。
いつもの場所↓