ツイ史跡巡り部活動日記

史跡や江戸藩邸跡巡り、 カーシェアでドライブをしてます。日記というより記録

車を借りて大磯城山公園に行ってきました【神奈川県大磯町】

どうも、先日大磯町にある県立大磯城山公園に行ってきました。

大磯には今年の正月に平塚駅から大磯の明治記念大磯公園まで歩いたぶりですが、さらに西にある大磯城山公園までは未到達。前から気にはなっていたのですが意外と駅から距離あってどうしようと思っていたら、カーシェアの存在を思い出しさっそく訪問しました。

以前訪問したときの記事はこちら↓

senri-nchu.hatenablog.com

 

 

大磯駅

現在の駅舎は関東大震災後に再建された3代駅舎

城山公園までは駅前のバス停から二宮方面行きの神奈中バスに乗れば着けますが今回は使いません。

大磯駅前洋館(旧木下家別邸)

大正元年(1912)に貿易商の木下健平が別邸として建てた洋館

関東大震災でも倒壊しませんでしたが、戦後に何度も解体の危機に襲われるも民間企業等に貸与することで保存が決まったという経緯があります。

現在は大磯迎賓館というイタリアンレストランとして利用されています。

毎週水曜日は定休日のため外から眺めました。

カーシェアのMAZDA3で移動。

史跡巡りには厳しい暑さなので車移動は最強です。

大磯宿上方見附跡付近

県立大磯城山公園

園内は旧三井財閥別邸、吉田茂別邸跡で構成され、前者側は室町中期の小磯城跡として推定されている公園

三井財閥別邸の起源は、三井惣領家第十代当主の三井高棟が明治中期に当時の軍医総監橋本綱常から大磯城山の土地を購入し別荘を建てたことにあります。

関東大震災で被災しますが、再建や敷地の拡張もあり昭和初期には広大な別邸と変化します。

戦後の財閥解体後に三井家から所有権が離れ、1度名鉄に所有権が移りますがほとんどの建物は解体され、現在は県立公園として整備されています。

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南門前

第一駐車場

平日は無料で駐車できます。

南門(旧中門跡)

かつて存在した中門は、資材に奈良の薬師寺や東京の浅草寺などの古材を用いて建てられました。

流雲橋・仙遊門跡

磯城

室町後期、長尾景春の被官越後五郎四郎が籠城したという山城跡

景春は主君の関東管領山内上杉氏上杉顕定に反旗を翻しこれに呼応した越後五郎四郎は籠城しますが、扇谷上杉家家宰の太田道灌に攻められ落城します。

その後の小磯城の様子は不明で、後北条氏の相模統治までに廃城になったとされています。

城山横穴古墳群

6世紀から7世紀の古墳末期に造られた横穴群

城山公園がある大磯丘陵には同年代の横穴群が数多くあります。

石碑

右の横穴は太平洋戦争末期に陣地として掘られた穴らしいです。

大磯町郷土資料館

ふれあいの広場

如庵跡

江戸初期に京都建仁寺織田有楽斎が建てた茶室如庵を移築してきた跡地

明治後期に京都から東京の三井本邸に移築したものを、太平洋戦争中に戦火から守るため別邸だったこの地に移転されました。

戦後に国宝指定された茶室は愛知県犬山市に再度移転しました。

東蔵

昭和16年(1941)ごろに建てられたという蔵

北蔵

東蔵と同年に建てられた現存する三井財閥時代の遺構

城山荘本館跡

法雲堂跡

現在は石段と土台が残ります。

相模湾

六窓堂跡

ひかりの広場

大雄殿跡

現在は滋賀県大津市の覚性律庵に移築されています。

洗心寮跡

大圓亭跡

こゆるぎの滝

城山庵

かつて三井財閥所有時代に邸内にあった茶室如庵にちなんで建てられた茶室

庭園

茶室前の西門から近くにあるお寺に向かいます。

西長院

鎌倉期に造られた身代わり地蔵尊が安置されている寺院

伝承では鎌倉初期に梶原景時の息子景義が源頼朝に対して狼藉を働き畠山重忠から追討を受けた時、この石仏が身代わりになったといいます。なお西長院や城山公園の近くを流れる血洗川の由来は、その地蔵から流れた血を川で洗ったエピソードから取られました。

石仏は普段は非公開ですが毎年期間限定で公開されています。

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駐車場に戻って吉田茂邸まで移動。

暑すぎるしそちらも平日は駐車料金無料なので助かる。

吉田茂邸内門

吉田茂が首席全権として締結したサンフランシスコ講和条約を記念して昭和29年(1954)建てられた門

庭園

吉田茂

戦後に内閣総理大臣を務めた吉田茂が晩年を過ごした邸宅

元は彼の義父吉田健三が別荘として建てた建物を引き継ぎ、昭和20年(1945)から本邸として吉田茂が没するまで利用されました。

しかし平成21年(2009)に火災で建物が焼失、その後被災しなかった内門や庭園の整備や建物の復元を経て平成29年(2017)に一般公開されました。

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建物内部は大人510円で見学可能です。

今回は内部見学が目的ではないのでパスしました。

サンルーム

邸宅が建てられた後に増設されたサンルーム

平成の火災で焼け残りましたが、耐震に難があるため立ち入り禁止と失われている廊下は復元されませんでした。

七賢堂

元は明治36年(1903)、同じ大磯地域に存在した伊藤博文の滄浪閣内に建立された堂

戦後に吉田茂がこの地に移築し、元々祀られていた岩倉具視大久保利通三条実美木戸孝允の4名(伊藤博文の没後は伊藤自身も)と西園寺公望も合祀し、吉田茂の没後に彼自身も祀られたことで七賢堂と呼称されました。

吉田茂邸を後にしてドライブとちょっとだけ史跡を巡ります。

庄ヶ久保横穴群

古墳後期に造られた横穴群

草木で手前の横穴しか見えない。

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大磯丘陵から相模湾方面

曽我五郎の力石

曽我物語の曽我兄弟ゆかりの石

平塚以西は曽我物語に関する史跡が多いです。

てことで、車の返却時間まで余裕があるので平塚に出て曽我物語にゆかりの人物の史跡に行きます。

山下長者屋敷跡

鎌倉初期の土豪屋敷跡

伝説では曽我兄弟の仇討ちで知られる曽我兄弟の兄十郎祐成の愛妾、虎御前が生まれた地とされます。

当時の土塁が一部現存。

屋敷跡内は私有地のため立ち入り出来ません。

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東光寺

虎女住庵の跡

曽我兄弟の死亡後、彼らを弔うため諸国を巡った虎御前がこの出身地に戻り出家し庵を構えた場所

ここといい山下長者屋敷跡も駅から遠すぎて車じゃないと来るのが大変な場所です。

曽我物語の足跡を辿る方は車移動推奨。

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洗車

返却ギリギリまでタオルで水しぶき拭いて撤収。

高来神社前

前ここ歩いたことを思い出しました。

 

無事に車を返却して終了。

夏の史跡巡りは積極的に車を使おうと強く思った回でした。