どうも、先日は夜に車で武蔵六浦藩米倉氏の墓地がある神奈川県秦野市の蔵林寺に行ってきました。
暇つぶしに地図見てたら秦野の郊外に大名の菩提寺を見つけすぐ車借りて出動しました。市内の史跡は源実朝首塚ぐらいしか知らなかったのでまだまだビギナーです。
蔵林寺
室町中期の享徳年間(1452〜55)に創建された曹洞宗の寺院
江戸期にはこの付近を所領していた旗本米倉氏の菩提寺として整備され、徳川綱吉治世下で頭角を現した米倉昌尹が下野皆川藩主として大名になって以降、後の武蔵六浦藩米倉一族の菩提寺として江戸後期まで続きます。
狛犬の台座には米倉氏家紋の隅切り唐花が印されています。
墓地
米倉氏は元は甲斐武田氏分家の甘利氏に仕えた一族
武田信玄・勝頼の頃の米倉氏当主の重継は長篠の戦いで戦死しますが、甲州征伐や小田原征伐で関東甲信が徳川家康の支配下に移ると子の忠継は蔵林寺一帯に所領を与えられ旗本米倉氏の始まりとなりました。
墓地には重継から六浦藩6代藩主昌後までの米倉氏当主、米倉氏家老、米倉一族の墓石があります。
なお都内の墓所は港区(渋谷区?)長谷寺、明治以降の墓所は六浦藩陣屋跡の近くにある横浜市金沢区の米倉子爵墓地にあります。
米倉氏中興の祖である昌尹の墓
奥左の見切れの墓石から米倉氏一族の墓、米倉氏14代昌後、12代昌賢、8代昌照
後ろから
右から11代昌晴、10代里矩、9代忠仰、7代昌明、初代重継
昌晴の右には13代昌由の墓石がありますが画角外でした。
正面の墓石は15代昌寿
正面の長方形の墓石が家老塚、正面左手前側が5代昌純
上に同じ写真がありますが、右から2番目が3代種継、その左が2代忠継、ひとつ飛ばして4代清継、1番左が5代昌純
寺前
境内に駐車場があります。
またすぐ南には新東名神奈川区間の道路が通っていて秦野丹沢スマートICがあります。新東名いつになったら全区間開通するのやら。
夏だし夜の墓だし本来ならよくある肝試しなんですけど、長年1人で変な時間にお墓見に行ったりしてきたのでもう怖さとかなくなってしまってます。
逆にこんなことしてる自分が怖いっていう話ですか?