どうも、先日はラーメン二郎八王子野猿街道2店を訪れるために八王子は京王堀之内にやってきました。
ただ現地でトラブルが発生し、二郎食べることは出来なかったので普通の史跡巡りとなりました。史跡があってよかった。
京王堀之内駅から西の南大沢方面歩き続けます、もう少し歩けば東京都市大学。
これだったら南大沢駅から歩けばよかったのでは?確かに!
後北条氏家臣団屋敷跡
正面の丘陵に築かれていた後北条氏家臣たちの屋敷跡
残念ながら、多摩ニュータウン開発でどれも遺構は消滅してしまっています。
写真西側は今回訪れていない井草屋敷跡方面です。
植松太郎兵衛屋敷跡
幕末までは堀切が残っていたという
富士見台公園
ファミリーしかおらん
公園内の史跡広場
縄文時代以降の遺跡
小田屋敷跡
後北条氏家臣で八王子城出城、小田野城を築いた小田野肥後守の屋敷跡
富士見台公園内にあると思っていたら、どうやら少し離れた松木台公園が跡地だそうです。
大石信濃守屋敷跡付近
こちらも現在『大石やかた公園』と整備されていますが遺構はなし。
旧由木村役場庁舎門柱
昭和39年(1964)に八王子市に編入され消滅した由木村の役場跡
大正2年(1913)竣工の役場は解体されていますが、当時の石造りの門柱は現存。
跡地には由木中央市民センターが建っています。
永林寺
天文元年(1532)、由木城主、大石定久が開基の曹洞宗寺院
定久は元々関東管領の山内上杉氏に仕えていた武蔵守護代一族でしたが、天文15年(1546)の河越夜戦で上杉氏が敗退すると後北条氏の北条氏照を婿養子に迎えて後北条傘下に加わった人物。
定久が滝山城に移動すると、由木城には定久の叔父一種長純が入り「永麟寺」として開山しました。
その後は後北条氏による伽藍整備、小田原征伐後には同氏の後釜で関東入封してきた徳川家康により手厚く保護され、この時に「永林寺」と改めてられました。
文禄4年(1595)に野火で伽藍が焼失。
現在の伽藍は江戸期以降に再建された姿です。
十六羅漢と三門
中雀門(勅使門)
後北条氏時代、後陽成天皇から綸旨を賜り勅願寺となった際に建立された門
江戸期に二度再建され、関東大震災や昭和41年の台風で倒壊後は横浜市磯子区東漸寺の山門を移築してきました。
なお現在の中雀門は平成25年に建立当初の姿で再建された門で、移築された旧東漸寺山門は境内脇門として利用されています。
脇門と鐘楼
本堂
安政4年(1857)の再建
豊川奥院と三重塔
三重塔
昭和後期に建立された三重塔
塔のモデルは広島県内にある国内唯一の鎌倉時代禅宗様式の向上寺にある国宝三重塔です。
三重塔から伽藍を見下ろす
大石定久墓所
定久と家臣たち(後北条時代は同僚)の墓
由木城跡
鎌倉時代に由木氏により築かれ、戦国後期に大石定久が入城した城跡
名城として名高い滝山城は、定久の父定重が築いた山城です。
なお先ほどの大石信濃守と定久の家系は別らしい。
正面の永林寺墓地を眺める
大石定久像
裏手
残念ながら遺構はないそうです
史跡巡った後に寄って帰る予定だったのに財布忘れて断念した店
本当に悔しい。
小岩二郎の時も財布忘れて。都内だったから電子マネー使える荻窪二郎に行ったけどここはまず無理。
今後は現金忍ばせておくのと、スマホだけでコンビニ出金出来るようにしようと心に誓いました。
寒すぎる中泣きながら駅に戻りました
二郎目的で再訪問することになります。
その時は対戦よろしくお願いします。