ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

ラーメン二郎ひばりヶ丘駅前店と狭山不動尊

どうも、先日は東京都西東京市と埼玉県狭山市に行ってきました。

ここ最近休みの日にラーメン二郎開拓と史跡巡りを兼ねて出かけてますが出費がまぁかかるかかる。今月だけで5店舗新規制覇してます。

ということで今回はラーメン二郎ひばりヶ丘駅前店と狭山不動尊訪問の記録です。

 

 

ひばりヶ丘駅

横浜方面から直通運転で約1時間強、駅回りに史跡がなくて寂しい

ラーメン二郎 ひばりヶ丘

平日13時到着で約20人待ち

着座までは40分ぐらいでした。

市川海老蔵似で有名な店主さんと女性のツーオペ、回転は割と早かった

小ラーメン ニンニク野菜

ひばりヶ丘名物の野菜タワー、野菜コールだけでこの盛り盛りはすごい

くたっとした野菜と豚、乳化スープはお手本みたいな旨さ。太めのモチっとした麵は啜りがいあるけどやっぱりデロデロ麵の方が好きかな。

対戦ありがとうございました。

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西所沢駅で乗り換え

西武球場前駅

意外と利用客いてびっくりした

ベルーナドーム

アクセス最悪・吹き抜けドーム最悪と野球観戦やライブの箱になったときは哀しみの声が続出するドーム

ライブの時だと吹き抜けのせいでリハーサルや本公演の音声丸聞こえなのやばいだろ。

狭山不動尊

昭和50年(1975)に西武鉄道グループが創建した寺院

西武グループに縁があるからか、埼玉西武ライオンズがシーズンに必勝祈願を行うことでも有名だそうです。ちなみに当方野球全くわかりません。

境内には都内増上寺の台徳院霊廟(徳川秀忠)の移築門を始め、国内各地の寺院から移築された建築物が多く残ります。横浜の三渓園みたいでとても良い。

旧台徳院霊廟勅額門

寛永9年(1632)に建立の勅額門

来た時に門の周りにじーさんばーさんの集団が一生案内聞いてて動かなかったので最後に撮影。


勅額は徳川家と親戚関係を持った後水尾天皇の筆


裏から

旧台徳院霊廟御成門

こちらも勅額門と同年建立の門


豪華絢爛な彫刻と趣きのある朱色

裏手から

第一多宝塔

大阪府高槻市の畠山神社から移築された宝塔

慶長12年(1607)の建立で埼玉県指定有形文化財です。

桂昌院宝塔

徳川家光の側室で綱吉の母、桂昌院の宝塔

増上寺の徳川家霊廟から移築された宝塔です。

本堂

本堂周りは増上寺から移設された石灯篭で囲われています

灯篭に刻まれてる寄進者の名前を見るのが好きなんですけどあまりにも多いのでほんの一部だけ撮影しました。

肥前平戸藩6代藩主松浦篤信

信濃飯山藩2代藩主松平忠喬

山城淀藩2代藩主松平光慈?

志摩鳥羽藩藩主板倉重治

不動寺総門(長州藩毛利家江戸藩邸移築門)

かつて長州藩江戸藩邸・大名屋敷にあった門

上中下どの屋敷のものかは不明ですが、大名屋敷跡巡りを生業にしている僕からするととても笑顔になります。

毛利家の家紋『一文字三星

弁天堂

滋賀県彦根市清凉寺から移築された弁天堂(旧経蔵)

建立時期は江戸初期の万治2年(1659)~元禄6年(1693)の間で、彦根藩井伊直孝の娘が父の追善菩提のために建立したものだといいます。

崇源院霊牌所丁子門

寛永12年(1635)建立の増上寺崇源院霊牌所の通用門

崇源院はお江で知られる徳川秀忠継室で徳川家光の母です。

江戸初期の建築を表した豪華絢爛な仕上がり

石灯篭

常陸土浦藩2代藩主・老中土屋政直

羅漢堂山門(田中平八屋敷門)

幕末から明治にかけて活躍した南信州出身の実業家・相場師、田中平八の屋敷門

門扉に葵の御紋があるけど元々徳川家縁の屋敷から移築されたものなのかは不明。凄腕の商人だったそうなので普通に買い取ってたのか?

大黒堂(柿本歌塚堂)

奈良県極楽寺にあった柿本人麻呂歌塚堂

大黒堂横にも石灯篭

但馬出石藩主松平忠栄

徳川綱吉治世では側用人徳川吉宗の頃に京都所司代と老中として江戸中期の幕政に携わっていました。

羅漢堂・旧台徳院霊廟唐金灯篭

明治初期の元老、井上馨の還暦祝いで明治天皇昭憲皇太后両陛下からの御下賜金を基に建立されたお堂と台徳院霊廟唐金灯篭

お堂は山縣有朋伊藤博文大隈重信、各財閥の重鎮が発起し、麻布鳥居坂にあった讃岐多度津藩屋敷跡の井上屋敷内に建立されました。

その後屋敷の所有者は久邇宮、赤星、岩崎と移るも昭和20年(1945)の東京大空襲でお堂を残して焼失。戦後、井上の義理の孫に当たる井上三郎が寄贈し同地に移築されました。

唐金灯篭は10万石以上の大名しか寄進出来ない

桜井門

奈良県五條市の桜井寺山門として利用されていた門

桜井寺は幕末に尊皇攘夷過激派の公卿中山忠光を主将とした天誅組が本陣を置き、大和五條や吉野、十津川で活動をしていました。

第二多宝塔

兵庫県加東市の椅鹿寺から移築された多宝塔

永享7年(1435)、後に嘉吉の変を起こすことで知られる播磨守護赤松満祐の長男教康が建立しました。

同寺は明治初期の火災で多くの建物を焼失。鐘楼堂と多宝塔は残るも前者は修繕が出来ずに平成に入って解体、多宝塔は昭和中頃に解体されるところを解体費用が足りず狭山不動尊に売却移築されました。

狭山不動尊を後にします

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弁天池

池の上にあるお堂は寛政3年(1791)の建立

手前2つの石灯篭は増上寺から移設されたもの。

近江膳所藩4代藩主本多康慶

伊予小松藩初代藩主一柳直頼

金乗院

平安初期に空海によって開かれたという寺院

鎌倉末期には新田義貞が鎌倉侵攻の戦勝祈願をしたと伝わります。

奥の本堂は宝暦12年(1762)建立

山門

南北朝時代初期に建立された山門

昭和9年(1934)に改築されています。

義貞霊馬堂

鎌倉侵攻にお供した馬の霊堂

水子地蔵尊

七福神

開山堂

開山堂と七福神

閻魔堂

享保年間(1716~1736)建立の閻魔堂

鐘楼

安永2年(1773)の建立

梵鐘は太平洋戦争時の金属類回収令で供出され、現在のは戦後に鋳造された2代目。

100円のお布施をすると鐘をつけます。

奥の院五重塔

平成11年(1999)に建立された中華風の五重塔

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慶性院山門

文久元年(1861)建立の慶性院山門

元々寺院は今の多摩湖貯水池西側にありましたが、大正11年(1922)の貯水池建設に伴いこの山門を残して東大和市に移転。

戦後まで放置されていましたが貯水池愛護会よ有志たちにより現在の場所に移築と修復が実施されました。

寺院の山門としては珍しい長屋門形式

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ベルーナドームへ

もうライブあっても来ないと思う。

西武特急レッドアローの前頭部

この日実は夜もラーメン二郎行こうとしてた(桜台店)けど平日だし帰りしんどいからまっすぐ帰宅。

そういえば前回財布忘れて行けなかった小岩二郎も別日にちゃっかり行けました。

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11月、小田原訪問出来なかったのが心残り。

その分来月は小田原行く回数増やすぞ。