どうも、お久しぶりです。
先月は史跡巡りを1日しか行けてないという異常事態に陥りました…史跡巡りよりシーシャ行った回数の方が多い。シーシャ最高!
てことで、先日土曜は埼玉県川越市にお出かけしてきました。10年ぶりの訪問らしい
久々に長い記事になります。
川越市駅
この日のざっくりルート
蓮馨寺
天文18年(1549)創建
開基は後北条氏家臣で河越城主大道寺政繁の母・蓮馨、開山は政繁の甥・感誉存貞。
たまたま寄ったら地元のワイン販売店が参加してたイベントがやってました。
しかもオーストリア料理扱ってるお店が出店してて今年1の笑顔、川越市内にオーストリア料理専門店あるの良いねすぎ。今度鉢形武蔵嵐山方面行った時に帰り寄るの有り。
栄林寺
江戸初期、武蔵川越藩主・酒井忠利が祖母のために建立した寺院
創建当初は別の場所にありました。
山門は川越城二の丸蓮池門の移築門。川越城の現存城門で門の形で現存するのはここだけ、貴重です。
菓子屋横丁
川越観光客の9割は来るであろう通り
養寿院
鎌倉初期創建で河越経重が開基の寺院
境内には経重の曾祖父重頼の墓があります。
河越重頼墓
河越氏は桓武平氏の流れの秩父氏の一族、御家人で有名な畠山氏や渋谷氏等とは同族
重頼は娘を源義経に嫁がせるが、治承寿永の乱終了後の頼朝義経対立時に義経側として征伐されました。
その後、河越氏は鎌倉初期に同族の畠山氏や榛谷氏等の滅亡に伴い復権。幕府事実上の専制者だった北条氏とは良好な関係を保ち、鎌倉末期まで御家人の地位であり続けました。
東明寺・河越夜戦跡
天文15年(1546)に北条氏康と上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏連合軍の間で起きた戦い
日本三大夜戦(奇襲)の一つとして有名、残りは桶狭間の戦いと厳島の戦い。
当時の関東地方は諸応仁の乱前後から戦に明け暮れていて、中期以降は主に古河公方足利氏、関東管領上杉氏や扇谷上杉氏、相模後北条氏が争っていて、この河越夜戦もその延長線上でした。
扇谷上杉氏の河越城を奪収した北条軍は北条綱成含む3000の兵が籠城し、連合軍を相手しました。やがて、籠城戦が半年も続くと包囲側は士気がダレ始め、そのすきをついた綱成軍は連合軍を奇襲し見事に壊滅させることに成功したのです。この時、援軍で来ていた北条氏康は連合軍を追い回しすぎて、味方から静止されるまで暴れまわったそうです。
この戦いで、後北条氏の関東の覇権が確定し豊臣秀吉の小田原征伐まで栄華を誇ることになるのでした。
新河岸川の桜
川越市内で有名な花見スポット
無限に人がいて疲れた。
夜桜も見に行った
川越氷川神社
舞殿は宝永元年(1704)建立
八坂神社は江戸初期に江戸城二の丸東照宮として建立され、その後は川越城三芳野神社に移転。明治初期の廃城令によって境内に移築し社殿として現在に至る。
川越城
長禄元年(1457)に太田道真・道灌親子が扇谷上杉当主上杉持朝の命で築城した平城
その後、後北条氏の北関東支配の拠点や徳川家康重臣酒井重忠を始め歴代幕府重鎮たちの城として位置付けられていました。
新曲輪水堀跡
新郭門土橋跡
二の丸水堀跡
新郭門跡
新曲輪北側中心部跡
右は二の丸土塁か?
二の丸蓮池門跡
二の丸跡
二の門跡
本丸門跡
本丸門土塁が整備されています
西側土塁
本丸虎櫓跡
本丸内堀跡と三の丸跡方面
本丸御殿台所跡
川越城本丸御殿
国内に二箇所しか現存しない本丸御殿の一つ(もう一つは高知城)
本丸御殿は全体が現存しているわけではなく一部が現存
明治棟は近代の建築物です。
三芳野神社
創建は平安初期、後年太田道灌が鎮守として設置し川越藩主・酒井忠勝によって再建されました
当時は本丸とは土塁で隔たれており、庶民の参拝は年一の大祭と七五三祝い時だけしか許されなかったといいます。
水堀跡
天神門跡
富士見櫓跡
富士見櫓前水堀跡
田郭門跡
高台の上は八幡曲輪跡(現・川越高等学校)
水堀跡
富士見櫓跡に登ります
櫓台
馬場跡
帯曲輪側水堀跡
帯郭門跡
清水門橋跡
清水門跡
田曲輪跡
中曲輪南屋敷跡(現・川越第一小学校)
南大手門跡
南大手門馬出跡
川越高等学校正門
三の門跡
三の丸跡
中の門堀跡
中の門跡
追手曲輪跡
西大手門跡
川越市役所(西大手門北側馬出跡)
川越市役所庁舎南側駐車場(西大手門南側馬出跡)
水堀土塁跡
喜多院
平安初期の創建
戦国中期までは関東天台宗寺院の本山の地位があったが河越夜戦などの戦闘に巻き込まれ衰退してしまいました。
江戸時代に入り江戸幕府の有力者天海が住職になると、川越藩主・酒井忠利と共に寺院再興に努め、寛永15年(1638)の川越大火で焼失した伽藍の代わりに徳川家光指示で江戸城紅葉山御殿から現在の客殿・書院・庫裏を移築しています。
なお、これらの資材を運搬するために新河岸川が掘削されました。
慈眼堂のある丘は古墳を転用
鐘楼門は川越大火を免れた境内最古の建物
山門も川越大火を免れた境内最古の建物
番所は江戸中期から末期の建立
客殿からみた紅葉山庭園
松平大和守墓所
徳川家康次男結城秀康の子・松平直基を祖とする松平大和守藩主の墓所
同家が川越藩主だった江戸中期から幕末までの7名のうち、朝矩、直恒、直温、斉典、直候の5名が眠ります。
どろぼうばし
黒門跡
かつて存在した喜多院黒門跡地
往年の門前通りは写真右側の路地(写っていない)でした
川越藩家老白井元長の墓
喜多院斎霊院内にあります
日枝神社
近江日枝神社を歓請したもの
本殿は江戸初期創建です。
境内にはかつて前方後円墳であった多宝塔古墳の前方部分のみ現存
元々喜多院の多宝塔はこの古墳上に建っていましたが、明治後期に道路新設のためにに移設された過去があります。
仙波東照宮
元和3年(1617)創建
寛永15年(1638)川越藩主・堀田正盛主導で再建され現在に続きます。東照宮の建物は重要文化財指定。
境内中心部は日曜日以外原則封鎖されてるので参拝出来ませんでした。これでは東照宮マスターになれないので再訪対象です。
堀切
その他
カフェ&キッチン ラフテル
昼はオムレツとフレンチトースト
シーシャラウンジ Enjin
川越マスターの知人と一緒にシーシャへ