どうも、蒸し暑い日が続く中勝手に足が動いて気づいたら浦賀にいました。今回はそんな浦賀での史跡巡りの内容です。
大昔に乗り鉄した時ぶりに降りた
ここから防衛大方面まで約40分歩きました、溶ける。
防衛大付近
山の上一帯が防衛大の敷地
横須賀市内方面遠望
馬頭観音堂
走水隧道
明治初期に軍用隧道として敷設されたトンネル
明治29年(1896)に現在の規模に拡張されました。
走水水源池煉瓦造貯水池
明治35年(1902)建設の貯水池
こちらは日清戦争後の軍備拡張の際に建てられたもの。走水地区は明治初期、フランス人技師ヴェルニー指揮で建設された横須賀製鉄所への用水として利用されていた走水水源地がありました。
走水海岸
走水低砲台跡
明治初期に"東京湾要塞"の一部として旧日本陸軍により建設された砲台跡
一般公開は土日祝だけというのを訪れた時に知って泣いた。
同地は江戸期を通して江戸に下る船の検査をしていた番所跡、江戸後期には川越藩が海防警備として築いた台場跡でもありました。
走水神社
防衛大の敷地前から走水低砲台方面
ここから三軒家砲台跡まで向かいます
三軒家砲台跡
明治に建てられた4基の二十七センチ加農砲座が設置されていた砲台跡
第3砲座
地下弾薬庫
第4砲座
左の階段から観測所上部に入れますが柵があったのと木々が鬱蒼としてて入るのやめた
観測所・付属室正面
第1砲座
旧軍建築特有の石積み
第1砲座跡から観測所跡方面
第2砲座跡
第2砲座のみ広場への道として破却済
井戸跡
掘割
中を通ると2基の掩蔽壕が現存
ここはこの時期に通るべきではないと判断し通過。
掩蔽壕反対側
錆びた掩蔽壕の鉄扉が残る
砲台入口門跡
当時の門柱が両脇に残る
見張り所跡
これがONEPIECEですか
腰越堡塁跡
左掩蔽部と弾薬庫
堡塁砲座
戦没船員の碑
第二次世界大戦や海難事故で亡くなった船員を弔う碑
練習船進徳丸の錨
戦前の神戸高等商船学校(戦後に国立大学化、2004年に神戸大学に統合)練習船の錨
進徳丸は大戦末期に米軍の攻撃に被弾し着底し、戦後に引き揚げされ神戸商船大学キャンパス内に保存されるも、阪神・淡路大震災で被災し解体されました。解体された船体の主要部は神戸市内に現存、その内の錨がここに展示されています。
大浦堡塁跡
堡塁右側の煉瓦のみ現存
北門第三砲台跡
煉瓦造りの第三砲台隧道
2基の掩蔽壕
石積みと第1砲座
砲座周りの石積み
榴弾砲砲床
揚弾井
穴の中は地下に井戸のように掘られ、貯蔵していた弾薬を上げ下げしていました。
第2砲座は破却され公園になっている
北門第二砲台跡
第二砲座
第二、第三砲座間横墻
第二砲台隧道
一般人の立ち入りは禁止
内部には洞窟式弾薬庫が2基設置してあります。
北門第一砲台跡
北門第二砲台と並んで近代日本最初期に建設された砲台
第二砲座
第一、第二砲座間には砲座連絡隧道が設けられている
第一砲座
棲息掩蔽部
第四砲台跡
現在は大部分が海上自衛隊管理地となっているので一般人は砲座遺構はおろか立ち入りすら不可能
直近では2018年の5月に3日間砲台を巡る特別見学ツアー、2021年には観音崎自然博物館主催の生物観察ツアー時のみ見学出来たそうです(後者は趣旨が違うけども)。
地下壕跡
水中聴測所跡
奥の楕円形の建物
隧道
たたら浜
平安末期、この周辺は三浦義明の4男義春が多々良姓を名乗って領有していました
また明治初期から太平洋戦争末期まではこの沖合で旧日本軍の演習がたびたび行われ、一帯は一般人の立ち入り禁止区域とされました。
初代ゴジラ上陸足跡
ピーチパークリビング
ここから山奥に進むと奈良時代の横穴墓群があります。
トーチカ
案内板などないので詳細は不明だが恐らく大戦末期建造のトーチカ
たたら浜の反対側にひっそりありますので時期によっては木々に覆われて見落とす可能性高め(特に夏)。関東に残るトーチカは希少なので訪れる価値は大ありです。
会津藩士の墓
なんでここに会津藩士の墓が?って思いましたが、江戸後期日本近海に外国船が出没しだすと幕府は諸藩に海防警備を命じ、この三浦半島は会津藩が担当していました。約10年で役目を浦賀奉行所に譲りますが、その期間中この地に赴任してきた会津藩士やその家族が亡くなると周辺の寺院に葬られていました。
この墓も西徳寺境内にありますが、今回ルート的に寺院正面からじゃなくて裏側から入った形になりました。
和田義盛剃髭塚
会津藩士の墓の横にある小山の祠
三浦半島は和田義盛や和田一族縁の史跡が多数ありますがここもそのひとつ。
この塚には、和田義盛が出陣前に月代を剃り戦勝祈願として落とした髪と剃刀を埋めた伝説があるそうです。
塚から会津藩士墓を見る
東叶神社
浦賀港を挟んで対岸に東西の叶神社が向かい合いこちらは東側の叶神社
万延元年(1860)に幕臣・勝海舟が咸臨丸での渡米前に水垢離と断食をした場所でもあります、
勝海舟使用の井戸
社殿から浦賀港を見下ろす
東叶神社裏山の明神山
急で段数も多い石段
勝海舟も断食前後にここを登り降りしたのか思うとおぉってなる。
石段中部に大正10年に建てられた石碑
浦賀の渡し
また、徳田屋という東の渡し船乗り場そばにあった浦賀を代表した旅館は、幕末に吉田松陰と佐久間象山が会った場所でもあります。
徳田屋跡地付近
大人400円小中学生200円、自転車持ち込みは50円かかります。ちなみに横須賀市民はこの値段から半額になります。ワンデーパスが600円なので東西浦賀地区散策する人はオススメ。
運行時間は毎日9時17時ですが、時刻表はないので対岸に船がいる場合は乗り場入口に設置してあるブザーを押すと来てくれます。
せっかくなので乗りました
屯営跡
明治初期に海軍浦賀屯営所が設置されて以降、明治以降多くの水兵を輩出しました。
現在跡地は住友重機の敷地として利用。上記の碑は敷地内にあるらしい。
浦賀駅に戻って帰宅へ
この時携帯バッテリー2パーぐらいしかなくてこの日一焦った。