ツイ史跡巡り部活動日記

史跡や江戸藩邸跡巡り、 カーシェアでドライブをしてます。日記というより記録

サンライズ瀬戸で行く四国旅行⑦終【室戸岬・岡豊城・高知龍馬空港】

四国滞在最終日です。室戸岬の先端からスタート。

前回はこちら↓

 

senri-nchu.hatenablog.com

四国最終日の移動

室戸岬奈半利駅周辺→土佐大津駅周辺→岡豊城→高知駅高知空港→成田空港

【目次】

 

 

 

朝五時ごろの海。部屋からこの景色一望は強い。

宿の正面

正面側の客室は旧館、今回僕が泊まったのは裏手の新館です。宿の左手から海に直結する道があるので明朝の海を散策。

裏手の新館側

室戸岬

室戸岬を含む室戸市全域は「ユネスコ世界ジオパーク」に選定されている風光明媚な環境です。このジオパーク認定された場所は国内には10ヶ所ありますが、四国ではここが唯一となっています。

ジオラマみたいな光景。右の高台上には室戸岬灯台

エボシ岩

岩の形が烏帽子に似ていることが由来の斑レイ岩。マグマが地中深くで冷えて固まった岩石が、長年波の浸食に耐えたことで形成当初の形を維持し続けています。

エボシ岩周辺には斑レイ岩が多くあります。

タフォニと呼ばれる風化穴

岩盤に付着した塩類が結晶化する時に一緒に岩肌も破壊することで生じる穴。蓮コラに弱い人は調べるのはやめたほうがいいです。

弘法大師ゆかりの行水の池

御厨人窟・神明窟

空海がこの場所で修行と寝食をしていたという二つの海蝕洞

空海』という法号は、この洞窟での生活中は空と海しか見えなかったことに感銘しそこからとったといいます。シンプルながらセンスの塊。

室戸岬灯台入口

忠霊塔

近代日本で国家や天皇に忠義を尽くして戦死した兵士を讃える記念碑

ここから歩いて灯台まで行けますが如何せん道の草と虫がひどすぎてやめました。

牛角

焼肉店みたいな名前の岩

正面の岩が牛角岩かと思ってたけど本当かどうかわからなくて困ってる。調べても同じように思ってる人が多数いてそれはそう。

自然ってすごいなぁと転んだらやばいなぁの思いしかない

室戸岬灯台中岡慎太郎

中岡慎太郎

昭和10年(1935)に安芸郡青年団主体で建てられた銅像

太平洋に面する室戸岬の最先端で中岡は大海原を眺め続けています。

見晴台

恋人の聖地らしくてとても小賢しいです♪

見晴台から海、めちゃめちゃ景色が良い

ボーっとしてたら朝食時間が迫っていたので小走りで宿へ帰還します。

普段宿泊で朝食プランなんて選ばない人間が珍しく健康的な朝食を食べた図

写ってないけどご飯も山盛り食べれます。

チェックアウトを済ませてバス停へ

室戸岬から奈半利駅まで1時間もかかるのやっぱり遠いと感じた。

奈半利駅

電車の時間まで20分弱あったので軽く周囲散策

奈半利城跡

室町後期から戦国時代にかけて土佐東部の有力国人であった安芸氏に与していた姫倉氏の居城

安芸氏が長宗我部元親に滅ぼされると、ここは長宗我部氏家臣桑名丹後守に与えられたといいます。

現在は城跡一帯奈半利小学校の敷地となり遺構はありません。

奈半利町役場

東山家住宅

明治末期建築の住宅と蔵

現在蔵は薬局として利用されています。

竹崎家住宅(高田屋)

明治初期建築の商家住宅

蔵内部はギャラリーとして見学が可能です。

奥の母屋は和風喫茶として利用されています

駅に戻る途中に奈半利城跡横を通過

土讃線直通のごめん・なはり線土佐大津駅へ

ちょうど阪神タイガース仕様の列車が止まっていました。

野球1mmもわからないけどファンなら大喜びものだと思う

土佐大津

バスでの岡豊城アクセスは、駅前のとさでん交通大津駅前バス停から高知医大方面に乗車し学校分岐バス停が最寄りです。ただ今回バス待ちしてる時間がなかったので徒歩で向かいました。

岡豊城に行く前に、道路を挟んで駅南側にある舟入川沿いを土佐電鉄清和学園前駅方面に歩く

土佐大津(天竺)城

土佐守護細川氏の一族とされる天竺氏の居城

天文14年(1547)に岡豊城主・長宗我部国親が城主の天竺花氏を攻め滅ぼし城は長宗我部氏支配下に置かれます。

後年、国親の息子元親が土佐一条家当主の一条兼定土佐国内から追放すると、兼定の嫡男内政に娘を嫁がせて大津城に入城させました(後年内政は伊予に追放)。この時は城の呼び名が大津御所となったといいます。

城南側入口は土佐電鉄線路を渡った先にあります

長い石段を登る

主郭部分には古城八幡宮が鎮座

土塁と空堀

北側の参道

ここから駅方面戻って岡豊城へ。城までは約30分かかった

県道252号をひたすら北進

路地入って奥に見えるのは岡豊城

国分川

岡豊城入口

民家の真横だから一瞬入っていいのか迷った。

岡豊城

鎌倉時代以降、歴代長宗我部氏の居城だった山城

永正の錯乱で守護大名細川政元が暗殺されると国内は同家の影響力が弱体化。代わりに長宗我部氏を含む国内の有力国人勢力が台頭し互いに勢力拡大で争うことになります。なお彼らのことは「土佐七雄」と称されます。

戦国時代初期に当主・兼序が同じ土佐七雄の本山氏に岡豊城を攻められて一時長宗我部氏は衰退するも、息子国親、孫の元親の代に国人たちを降して土佐統一を成し遂げます。彼らの土佐統一の足掛けとなったのがこの岡豊城なのです。

現在は曲輪や堀切が現存。ただ5月中旬でも草が多かったのと猛暑だったということもあって、ちょこちょこ遺構の見落とし場所があったのは悔しい。

伝厩跡曲輪

岡豊城石碑

三ノ段礎石建物跡・石積

岡豊町方面遠望

本丸に相当する曲輪

当時の建物礎石や石敷遺構が保存されています。

詰下段

二ノ段堀切内井戸

二ノ段

高知県立歴史民俗資料館

高知県内の文化や長宗我部氏に関する歴史史料などが展示されている博物館

公共交通機関で岡豊城くる場合はここからアクセスすることになります。

長宗我部元親

四国制覇を目指した元親の意志をかたどった像

城内へは裏の階段から行けます。

土佐の山村民家

現在の高知県高岡郡津和野町から移築された江戸後期建築の民家

入ろうと思ったら先客様方が中央陣取ってて外観だけ

田んぼと岡豊城

岡豊城近くには元親次男の香川親和と長宗我部一族の墓と呼ばれる墓所がありますがそれを知ったのは後日だったのはここだけの話。

水路

くそ暑い中岡豊城と土佐大津駅を往復したのは本当に疲れた。

駅に戻ったらそのまま高知駅に向かって空港バス乗り換えをしました。

高知龍馬空港

三年ぶりに国内飛行場利用。高知と松山、高松は東京間のLCC通ってて安くていいのよね。ちなみに徳島だけ大手便しかないので空路だと片道10kします。旅行で交通費抑えるなら陸路なら大阪兵庫からバス、高松からはバスか乗り鉄がいいかも。

アジア系観光客の団体様多いと思ったら台湾便もあるのね

空港愛称の坂本龍馬さん

空港内のレストランで昼食

カツオのたたきランチと仙頭の梅酒(高知地酒)。

5月当時は旅行クーポンが配布されていたのでそれを利用して無銭飲食。お土産も柚子酒やら色々クーポンで購入しました。

うねうねしてたら搭乗時間ギリギリだったので急いで移動

さよなら高知、次はちゃんと大歩危峡散策しに来るよ

成田空港

第三ターミナルから成田空港駅までそこそこ距離あってびびった。

疲れたのでNEXで帰ろうと思ったら券売機が無限観光客編始まってて終わったのでスカイライナーで逃亡。

上野公園

実はいつも成田空港発着の便に乗る時はほぼ必ず上野からスカイライナーで成田行くよう予定組んでいます。

上野は色々思い入れがありすぎる町なので旅行前後にくると心が落ち着くんですよね、本当に。

ちょうどこのあたりが幕末再末期の戊辰戦争上野戦争激戦地です。

四国はまた城目的で今治、一宮で行きたいので多分再訪します。

 

 

最後に今回の旅行記事一覧です。ぜひ見てください。

ではまた。

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