ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

2泊3日北陸史跡巡り 前編【石川県金沢市】

どうも、5月17日〜19日まで北陸は石川福井富山に行ってきました。

石川は福井までの夜行バス経由地ぶりだったので初めての訪問。一応富山は黒部観光、福井は若狭エリアと福井市大野市には過去に訪問済みです。

とにかく、去年からの目標だった埼玉の城と金沢訪問がようやく達成出来たので良かった良かった。

久々の長い内容となるのでのんびり読んでください。

 

東京駅

北陸新幹線は初めての乗車。

行先に金沢以西から敦賀までの駅名が表示されてていいね。

別のホームにはかつて上越東北新幹線で使用されていた200系カラーのE2系電車が止まっていました。

富山県の新神通川橋梁から神通川

金沢駅

石川県初上陸。

スタバで休憩。

ゲーマーズ金沢店

金沢が舞台のラブライブ!シリーズ、『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』のタイアップショップ

2024年5月現在、2025年2月までの期間限定オープンです。

大沢瑠璃乃好き。

蓮ノ空聖地巡礼はこちら↓

senri-nchu.hatenablog.com

 

金沢城総構

安土桃山時代末期から江戸初期、前田利長・利常兄弟の治世下に金沢城防御のため造られた堀と土居

江戸中期以降は規模が縮小し現在は一部のみ現存。ただ総構堀は一部水路として利用されるなど部分的に残っていたりします。

西門口前交差点

ここから写真左の東本願寺金沢東別院方面に西外総構が存在しました。

西外総構枡形方面

西外総構枡形跡

土居で造られた枡形と堀の一部が復元されています。

枡形内

往年は車道側に水堀が交差点付近まで通っていました。

復元された堀。

西外総構北方面

武蔵辻・北國銀行 武蔵ヶ辻支店

金沢市内の交通の要衝

武蔵交差点正面には昭和7年(1932)竣工の北國銀行武蔵ヶ辻支店が建っています。

近江町市場

江戸中期に金沢城下の市を集めた加賀藩公認の市場

「近江町」の由来は、近江(滋賀県)出身の近江商人から取られたといいます。

三井住友銀行 金沢支店(旧三井銀行 金沢支店)

戦前の竣工とされる建物

ここでお金を下ろしました(なんでも報告)。

金沢おでん いっぷくや

近江町市場にあるおでん屋

金沢名物のおでんを堪能することができます。

普段ちくわと大根しか食べない人間が選ぶおでん。

さすがにここでは観光ぶりたいのでご当地メニューをチョイス。対戦ありがとうございました。

お店は『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』というラブライブ!シリーズの劇中に登場しています。つまりオタクの聖地。

町民文化館(旧金沢蓄財銀行 本店)

明治40年(1907)竣工の銀行建物

外観は和風、内部は洋風漂う銀行の窓口や頭取室が残る和洋折衷の建築物。今回は校外学習の学生さんが多くいたので外観のみ。

石黒ビル

昭和元年(1926)竣工のビル

福久屋石黒傅六商店

嘉永5年(1852)の建築

金沢の名家石黒家の商家で、隣接する石黒ビルのオーナーでもあります。

加賀藩士野坂氏邸

長屋門や土塀が現存する藩士の家

敷地内は子孫の方が居住しているので立ち入り禁止。

金沢城西内総構堀跡

僅かに石垣や堀が残ります。

彦三緑地

シーズンになるとツツジやボタンで有名な公園

元は加賀藩士遠田氏の屋敷跡で、加賀藩6代藩主前田吉徳から時の遠田氏当主がツツジを賜ったことがツツジの起源といいます。

金沢城西内総構主計町緑水苑内遺構

築城当初は傍を流れる浅野川の河川敷だった場所

江戸期を通して総構の堀として整備され、明治以降に埋め立てられ今に至ります。

主計町茶屋街

浅野川沿いに建ち並ぶ伝統的な茶屋街

表通りだけでなく裏通りも風情がある場所です。

暗がり坂

江戸期に尾張町の旦那衆が隠れて茶屋街に行くために通った裏道

坂名の由来は日中も陽の光が当たらず薄暗いことから。

今越清三郎翁出生の地・浅野川大橋

今越清三郎は金沢出身の金箔職人

幼少期に陸軍大将乃木希典から金を恵んでもらったことをきっかけに、後に滋賀県で金箔職人として大成することになります。

浅野川大橋は大正11年(1922)竣工のアーチ橋で国の登録有形文化財です。

ひがし茶屋街

文政3年(1820)加賀藩12代藩主前田斉広のころ、藩公認の歓楽街として整備された茶屋街

大通りの両脇には江戸期から残る建物が数多く建ち並び、各施設で金沢の歴史文化を堪能することができます。

お茶屋志摩

ひがし茶屋街の設立当初から残る建物

国指定重要文化財に指定されています。一般見学は500円から、別料金でお抹茶や和菓子をいただくことができます。

懐華樓カフェ

ひがし茶屋街で1番大きな茶屋建築

昼はカフェとして甘味を提供し、夜は一見さんお断りの茶屋営業をしているお店。

一般見学は750円から。

旧かみや主屋・土蔵

明治6年(1874)に建てられた茶屋建築

明治の茶屋建築様式を色濃く残しているので、他の茶屋建築と比較するのも醍醐味。

現在は茶屋美人という化粧品や小物類を扱うセレクトショップが入っています。

加賀藩御用菓子司 森八

寛永2年(1625)創業の菓子屋

森八は日本三大銘菓の「長生殿」を生み出しており、加賀藩の歴史とともに発展してきた和菓子屋です。

菅原神社

ひがし茶屋街の鎮守社

宇多須神社

創建は奈良時代初期

慶長4年(1599)に加賀藩祖の前田利家が死去すると、後継者の息子利長は金沢城の鬼門に位置したこの神社に利家を祀りました。

以降は歴代加賀藩主の祈祷社して崇敬を受けていました。

利常公酒場の井戸

幼少期の加賀藩4代藩主前田綱紀が疱瘡にかかった際、祖父の利常が宇多須神社で祈祷し、この井戸水を沸かし酒を綱紀の体にかけると治ったという井戸。

子来坂

ひがし茶屋街から卯辰山方面にある坂

これを登って卯辰山公園に向かいます。

善妙寺

慶応4年(1868)開山の日蓮宗寺院

加賀藩12代藩主前田斉泰が卯辰山開発の際、土中から日月天子像が出土し祭祀させたのが起源。

卯辰山公園展望台

金沢市内を一望できる展望台

卯辰山は江戸期を通して庶民の登山が許可されず、また幕末には加賀藩主の前田斉泰・慶寧父子の開発がされた歴史があります。

蓮ノ空キービジュアルの地

オタクなのでここで笑顔になりました。

虫も多かったので10分ほど滞在して退散。

円長寺

初めは別の場所で天正14年(1586)に創建され、慶長元年(1596)に当地で建立された真言宗大谷派の寺院

加賀藩3代藩主前田利常が度々小休憩所として利用していたといいます。

市街地に戻ります。

金沢城 東内総構枯木橋詰遺構

この場所は旧北国街道が金沢城下に入る交通の要衝でした。

そのため木戸を設けて番人が警備していました。

 

丸みを帯びた石垣

左側は復元された石垣、右側は江戸後期に積まれた石垣。

石垣と堀

金沢文芸館(旧高岡銀行 橋場支店)

昭和4年(1929)竣工の建物

泉鏡花記念館

明治後期から昭和初期に活躍した金沢出身の小説家、泉鏡花を記念する博物館

金丸家住宅

幕末ごろの建築とされる町家建物

立花北枝旧居跡

江戸初期の加賀出身の俳人立花北枝の庵跡

北枝は松尾芭蕉の弟子で、蕉門十哲の1人として数えられています。

そばには久保市乙剣宮という神社があります。

石川県里程元標

橋場交差点にある里程元標

当初、石川県の道路基準点として明治6年(1873)に木造で建てられ、昭和末期にモニュメントとして生まれ変わりました。

三田商店

昭和5年(1930)竣工の建物

現在はギャラリー三田というアンティーク商品販売店や喫茶店が入居しています。

村松商事ビル

昭和3年(1928)竣工の建物

加賀藩士寺島蔵人屋邸付近

左の土塀側が寺島家屋敷

一般見学は310円から。

金沢城大手門

能登加賀越中3カ国100万石を有した江戸期を通して国内最大の大名、前田家の居城

新丸外堀

豪姫居住地跡

豪姫は前田利家の娘で備前岡山の大名宇喜多秀家正室

関ヶ原の戦いで西軍が敗れた後、当初薩摩藩に匿われていた秀家は八丈島流罪。豪姫は実家の前田家に戻り晩年はこの地で過ごしていました。

旧高峯家・旧検事正官舎

高峯家旧宅は明治5年(1872)、旧検事正官舎は明治43年(1910)に建てられた建物

それぞれ建物の一部が現存し現在はセットで現存しています。

黒門内側から金沢城藤右衛門丸方面

現在は立ち入り禁止。

新丸下台所跡

大手門枡形内

かつては外堀がここまで伸びていました。

新丸細工所跡

河北門土橋から新丸広場

河北門

新丸と三の丸を繋いだ門

こちらは後年の復元。

土橋から水堀と三の丸石垣

枡形内

河北門内部

三の丸菱櫓・五十間長屋・橋爪門・土塀

全て近年復元された建物です。

三の丸西側方面

橋爪門に向かいます。

枡形内

雁木坂

橋爪門から二の丸に向かう途中に存在した石段跡

現在は土塁になっています。

当時は左の芝生近くまで堀がありました。

二の丸御殿絵図

復元された五十間長屋内部

金沢城模型

二の丸御殿跡

現在調査が実施され、将来的には二の丸御殿の表向が復元される可能性があるそうです。

金沢御堂跡

加賀一向一揆の拠点だった御堂跡地

本願寺の拠点だった石山本願寺と同じく城塞化していました。

裏口門跡

切手門

旧第六旅団司令部庁舎

明治31年(1898)竣工の建物

旅団司令部庁舎の設計は全国同一ということもあり、同様の建物が各地にありました。

数寄屋敷石垣

数寄屋敷には加賀藩主の側室たちが暮らしていました。

石垣には様々な刻印がされています。

数寄屋門跡

土橋門跡

藤右衛門丸と三の丸を繋いでいた門

藤右衛門丸

現在は駐車場と広場になっています。

広場側は震災の影響?で立ち入りが禁止でした。

空堀

薪の丸 三十間長屋

幕末に再建された二階建ての土蔵

干飯や鉄砲が保管されていました。石川門と並んで金沢城に現存する貴重な遺構。

鉄門跡

薪の丸と本丸間にあった門

旧陸軍トンネル

陸軍によって城内に弾薬庫が建設されたときに掘られたトンネル

戌亥櫓跡

本丸から二の丸・橋爪門・鶴の丸

本丸

江戸初期までの金沢城中心部

天守閣は慶長7年(1602)、本丸御殿は寛永8年(1631)に焼失し後者の大火後には藩庁を二の丸に移しました。

東の丸

本丸と同じく森林になっています。

東の丸丑寅櫓跡

東の丸石垣と門跡

石垣

鶴丸倉庫

嘉永元年(1848)竣工の金沢城鶴の丸にあった武具倉庫

明治以降は陸軍被服庫として使用されました。

東の丸丑寅櫓跡方面

奥の石垣は野面積みで前田利家のころのものといいます。

井戸枠

三の丸石川門

江戸後期に再建された金沢城の搦手門

枡形門で石川櫓と高麗門・櫓門で構成されています。

百間堀跡

兼六園

水戸藩偕楽園岡山藩後楽園と合わせて日本三名園の1つ

延宝4年(1676)に4代加賀藩前田綱紀が、別荘の蓮池御殿を建て周囲を庭園にしたのが起源。

兼六園の由来は江戸後期の老中松平定信で、同時期の12代藩主斉泰が兼六園を拡張整備し、ほぼ現在の姿に仕上げました。

霞ヶ池・ことじ灯篭

灯篭の脚の形が琴の弦を支える箇所に似ていることから名付けられた灯篭

この灯篭からの眺めは兼六園を代表するスポットで、ずっとツアーの外国人観光団体がいて大人気でした。

瓢池

兼六園最古の池

夕顔亭

安永3年(1774)に建てられた茶亭

成巽閣

文久3年(1863)に13代藩主前田斉泰が母の真龍院の隠居所として建てた建築物

現存する幕末の大名屋敷として貴重で、重要文化財に指定されています。

金沢神社

11代藩主前田治脩が創建した神社

藩校明倫館、12代藩主斉広が建てた竹沢御殿の鎮守社と前田家祖先とされる菅原道真を祀っています。

明治以前までは、年2回の例祭日に婦女子だけにしか参拝を許可されなかったといいます。

金沢市のレンタサイクル「まちのり」

専用アプリで会員登録すると30分165円、以降30分ごとに110円で電動自転車に乗れるサービス。

この日これ以降の移動はほぼこれに頼りました。

成巽閣辰巳長屋

文政5年(1822)に建てられた兼六園竹沢御殿の長屋

幕末の成巽閣の建設に伴い、一部を現在地に移築し使用されました。

加賀八家奥村家屋敷跡

加賀藩重臣の奥村家屋敷跡

現在は金沢医療センターが建っています。

土塀は当時のものです。

旧石川県立第二中学校本館

明治32年(1899)竣工の建物

現在の金沢市立紫錦台中学校内にあります。

金沢大学医学部宝町キャンパス

金沢美術工芸大学石川県立図書館

金沢大学工学部小立野キャンパス跡地に移転してきた大学と図書館

図書館内部は映えスポットすぎる。

旧金澤陸軍兵器支廠兵器庫通用門

兵器庫に建てられた4基の門のうち唯一現存する門

戦前は現在の本多の森ホール一帯に陸軍練兵所があり、兵器庫と隔てる門として機能していました。

2015年に土塁や扉、石引が復元され当時の姿が蘇りました。

いしかわ赤レンガミュージアム(旧陸軍第九師団兵器支廠)

大正2年(1913)竣工の陸軍金澤兵器支廠の兵器庫3棟

現在は石川県立歴史博物館と加賀本多博物館として使用されています。

辰巳用水石管

国立工芸館(旧陸軍第九師団司令部庁舎・旧陸軍金沢偕行社)

2020年に開館した日本海側初の国立美術館

左の旧陸軍第九師団司令部庁舎は明治31年(1898)、右の金沢偕行社は明治42年(1909)の竣工。

広場から旧陸軍の建物を見る

石川県立美術館 広坂別館(旧陸軍第六師団長官舎)

大正11年(1922)竣工

廣坂

川口門跡

12代藩主前田斉広が兼六園内に建てた竹沢御殿の門の一つ

旧中村邸

昭和3年(1928)に建てられた酒造業を営んでいた中村家の住宅

旧本多家住宅長屋門

加賀藩重臣、加賀八家の本多家分家の本多内記家の長屋門

幕末に建てられた長屋門で何度か移転した後現在地にあります。

金沢市内に現存する長屋門加賀藩重臣の建築物はこれのみで大変貴重なものです。

石川県政記念しいのき迎賓館(旧石川県庁舎)

大正13年(1924)竣工の県内初の鉄筋コンクリート構造かつ国内最古の鉄筋コンクリート構造の県庁舎

平成15年(2003)に県庁舎の移転により、建物裏をガラス張りに建て替えて複合文化施設として利用されています。

建物正面の椎木は「堂形のシイノキ」として国の天然記念物に指定されました。

本丸南の石垣といもり堀

右手前は鯉喉櫓台

百間堀跡方面

広坂北交差点から兼六園下交差点までは水堀でした。

石川四高記念文化交流館(旧第四高等中学校本館)

明治24年(1891)竣工の旧第四高等中学校本館

イギリス組みレンガ造りで内部は無料見学ができます。

江戸後期には藩校明倫館がありました。

尾山神社前西内総構跡

遺構が残る西内総構え

現存総構え土塁

尾山神社・金谷出丸

明治6年(1873)創建の前田利家と芳春院を祀る神社

神社は金沢城の郭、金谷出丸御殿跡に建てられました。

神門

明治8年(1875)竣工の擬洋風建築

擬洋風建築は文明開化のころに流行した従来の日本建築技術で造った洋風建築ですが、この神門はそれに中華風の技巧を加えた珍しい建築物です。

拝殿

明治6年(1873)建立、天井や欄間は金谷御殿のものが使われています。

導水菅

犀川から金沢城内に引き入れた辰巳用水の水路で使われた導水菅

江戸後期から石造りの管でしたが、それまでは木製でした。

前田利家騎馬像

ここで金沢城二の丸御殿唐門や本殿を見るのを忘れていました。

玉泉院丸

鼠多門

金谷出丸と玉泉院丸を繋いだ櫓門

明治17年(1884)の火災で焼失した門と橋が2020年に復元されました。

史実に忠実な復元で、城内の門ではこの門だけだった海鼠壁の木地が黒漆喰な特徴も再現されました。

水堀跡

玉泉院丸続櫓台

番所

井戸

江戸初期から存在した井戸

保存のため、当時の井戸の上に井戸枠が設置されています。

玉泉院丸庭園

金沢城玉泉院丸に存在した大名庭園

玉泉院は前田利長正室の永姫(父は織田信長)の院号から名付けられ、前田利常のころに庭園が造営されました。

写真中央の石垣は色紙短冊積石垣と呼ばれる積み方で、4代藩主前田綱紀のころに演出として積まれたものです。

長町武家屋敷跡

加賀藩時代の上級・中級藩士の侍屋敷跡

細くクランク状の路地は城下町ならではの光景。

大屋家住宅

加賀藩士大屋家の住宅

現在も同家の方が住んでいるので内部は非公開です。

瑞泉寺

寛永年間(1624〜44)創建の浄土真宗大谷派の寺院

犀川大橋

大正13年(1924)竣工の道路橋

元は文禄3年(1594)、前田利家のころに架けられた木造の橋が始まり。大正後期に1度鉄筋コンクリートに架け替えされるも豪雨で消失、その後鉄骨トラスで再建され現在に至ります。

にし茶屋街

江戸後期にひがし茶屋街と共に誕生した茶屋街

市内の茶屋街では芸妓在籍数はここが最大といいます。

西検番事務所

大正11年(1922)竣工の芸妓衆の稽古場・管理事務所

にし茶屋街を後にして金沢駅のホテルにチェックイン、夕食を食べに行きます。

金沢市中央卸売市場

金沢を始め北陸の主要卸売市場

近江町市場で夕食も考えましたが、向こうは観光客向けで値段が高くコスパ悪いそうなので地元民向けのこちらへ。

魚がし食堂 中央市場店

普通に安くて感動。

能登の荒磯丼(1600円)

マグロの刺身

地酒

満腹でした、金沢来たらここでご飯食べるのを強くおすすめします。

駅前のたい焼き屋でお口直し

酔い覚ましで夜のひがし茶屋街まで歩きました。

主計町茶屋街

暗がり坂

浅野川大橋

中の橋

ホテルに戻って爆睡。

2日目は朝から福井に向かいます。

 

続き↓

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