ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

2泊3日北陸史跡巡り 中編【福井県坂井市・石川県加賀市・小松市】

北陸旅行2日目。のんびり宿で朝食を食べてから金沢駅からスタート。

この日は福井県坂井市丸岡城、石川に戻り加賀市大聖寺城と大聖寺地域の散策、小松市で小松城に行きます。

前回からこちら↓

senri-nchu.hatenablog.com

まずは丸岡城を目指して南下します。

アプリで乗り放題切符を買うのを忘れて片道だけ丸岡駅行の切符を買ってしまった。

北陸3県2Dayパス

土日祝の連続2日のみ使用出来る三セク化した旧北陸本線の乗り放題パス

乗り降りした駅で金沢駅小松駅高岡駅富山駅以外は駅員不在だったので毎度ドキドキしながら改札通過しました。

丸岡駅

駅から丸岡城までの直通バスは無いので、1度丸岡バスターミナルまで乗車します。

丸岡バスターミナル

三国港永平寺福井駅といった福井県北部各地を結ぶ京福バスの中心地

時刻によっては丸岡城までの便もありますが、バスターミナルから城までは徒歩10分あるかないかなので歩いて向かいます。

丸岡城神明口門跡

本丸南側内堀跡

右側は南三の丸馬場跡

内堀跡から天守閣と本丸方面

内堀跡と西三の丸跡方面

内堀跡側から登ります。

二の丸跡、大手門跡方面

跡地付近には坂井市立平章小学校と丸岡体育館があります。

本丸下部

丸岡城天守閣・本丸

北陸地方で唯一する天守

安土桃山時代織田家宿老、柴田勝家の甥勝豊が築城。その後は安井家、青山家と続き、江戸期以降は越前松平家の今村家、本多家、有馬家が丸岡藩主を務めました。

明治の廃城令で天守閣を残してほとんどの建物が解体もしくは移築、大正から昭和初期にかけては堀を埋め立てられました。

また戦後に福井県を襲った福井地震天守閣が倒壊、元の木材の7割を使って再建されたといいます。

かつては現存最古の天守閣と呼ばれていましたが、調査で江戸初期の本多家時代と判明しています。

柴田勝豊時代からある井戸。

丸岡城の別名「霞ヶ城」の由来になっています。

井戸と石段

天守台と本丸西側石垣

天守1階に展示している模型

2階にはイケメンがいました。

3階

東三の丸跡方面

南三の丸跡方面

西三の丸跡方面

真下にあった西の丸跡、二の丸一部跡、追手門跡(左側)方面

階段

歴史民俗資料館

坂井市伝統芸能や藩政以前の案内をしている施設

天守入場券があれば見学できます。写真は無いけど見学しました。

内堀跡

裏門跡付近

里丸岡口門跡

この位置だと道路左側が東の丸屋敷跡、右側が南三の丸跡方面。

僅かに当時の外堀の面影がある水路

南三の丸・平章館跡

江戸後期に設立された丸岡藩の藩校跡

この後は丸岡バスターミナル経由で丸岡駅に戻ります。

大聖寺駅に向かいます。

大聖寺駅

三セクのIRいしかわ鉄道線とハピラインふくい線が乗り入れる駅

加賀市の中心駅、のはずが国鉄時代から隣の加賀温泉駅の方が駅周辺は栄えています。温泉郷効果は強いのか。

大聖寺は石川県南部の伝統工芸品、九谷焼発祥の地。

江戸初期に大聖寺藩内で良質な陶石が見つかったのを機に、藩士の後藤才次郎指揮の元で制作が進められました。しかし元禄年間に衰退、再興するのは江戸後期まで待つことになります。

蘇梁館

江戸後期から大聖寺藩北部(現在の加賀市橋立町)で繁栄した北前船主・久保家の住宅を移築してきた施設

久保家は北前船と呼ばれる日本海で活動する海運業で富を成し、大聖寺藩の財政にも影響を与えていました。

江戸後期の木材

未だに木の煤が落ちてくるらしい。

こちらも江戸後期の柱

柱も定期的に樹液が垂れるそう。また柱や扉などは1品ものなので替えが効かないって聞きました(うる覚え)。

建物内

行った時コスプレ撮影集団がいて気まづくて泣いた。

それを察してか受付の人とずっと話してました。

北陸新幹線が福井延伸してから、逆に大聖寺の観光客の足が遠のいてるらしいです。敦賀北行北陸本線特急の消滅がでかいとか。

特に若い人が来るケースはレアなので、コスプレさんの撮影スポットとして知名度を上げたいと仰っていました。

大聖寺、町並みや建物を『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』の作中に登場させないか?オタクが来ますよ。

山ノ下寺院群

大聖寺藩の下級武士や寺院が集まっていた地域

全昌寺

大聖寺藩関所 移築関所門

日蓮宗の宗寿寺山門として移築されている関所の門

旧月田家住宅

加賀神明宮(山下神社)

昭和中期以前まで山下神社と呼ばれていた神社

大聖寺 鴻玉荘

加賀市の企業大同工業株式会社4代社長、新家熊吉の邸宅

主屋

大正14年(1925)竣工で大聖寺地域で唯一現存する料亭建築

建築当時は料亭を営んでいた所有者から新家家が買い取った建物です。

大聖寺藩の文化資料が展示してあります。

独り占め🎶

石蔵

庭園

本館

昭和22年(1947)竣工の新家家の客屋敷

戦後の混乱期にも関わらず贅沢に良質の材料を使った数寄屋建築。

多くの政治家や財界人が出入りしていた建物というから凄みを感じます。

本館玄関

1階

2階

龍崖庵

北国上街道 大聖寺関町

足軽徒士が住まいがあった場所

大聖寺藩関所跡

江戸初期に設置された関所

大聖寺藩設立と共に関番足軽が配備され、越中境関とともに加賀藩東西の関所として機能していました。

当時の柵門は全昌寺山門に移築されています。

大聖寺陣屋跡

加賀藩3代藩主前田利常の三男、利治が藩祖の大聖寺藩藩庁跡

土塁や石垣の一部が現存しているらしいけど見つけられませんでした。

大聖寺

鎌倉時代に築城された城跡

戦国時代には加賀一向一揆の拠点の1つとして使われ、一向一揆の消滅後は朝倉、織田、上杉と続き、溝口秀勝小早川秀秋家臣の山口宗永が城主を務めました。

関ヶ原の戦いでは東軍の前田利長に攻められた後落城、江戸初期に前田家の持城となりますが、大聖寺藩成立後は城前の陣屋に藩庁を構えて城は立ち入り禁止となりました。

贋金造りの洞穴

戊辰戦争の局地戦、北越戦争に必要な弾薬を提供するための資金代わりに製造した贋金の製造場

東丸旧城道

かつての城内の道、現在は木々に覆われて通行出来ません。

整備された散策道

馬出曲輪跡

真下の大聖寺陣屋跡と大聖寺の町

坂土橋

本丸南虎口跡

鏡石

本丸跡

大土塁

本丸櫓台跡

本丸北東虎口跡

馬洗い池

今も水溜まりになっています。

虎口

二の丸跡

土塁

戸次丸跡

横堀

三の丸跡(北の丸跡)

堅堀

空堀

西の丸跡

堀切

局谷

山口宗永に仕えていた局たちが本丸から身を投げていたという場所

骨が谷

関ヶ原の戦いの北陸戦線、大聖寺城攻防戦で戦死者が骨になるまで放置されてたという場所

櫓台

鐘が丸跡

大聖寺城攻防戦で起きた山口宗永軍と前田利長軍の激戦地

もしかしてここ心霊スポット?

切岸

番所屋敷跡

御土橋

下馬屋敷跡

東丸方面

東丸跡

東丸跡から入口まで降りて駅に戻ります。

水路

加賀神明宮(山下神社)の鳥居

石川県九谷焼美術館

手取川

石川県白山市を流れる一級河川

手取川の由来は平安末期の倶利伽羅峠の戦い篠原の戦いで敗走した平家軍を追討をする木曾義仲軍兵たちが、増水した川を互いに手を取り合って渡ったという伝承から。

また天正5年(1577)、織田軍と上杉謙信率いる上杉軍が戦い上杉軍が勝利した手取川の戦いの古戦場でもあります。

西金沢駅

駅前にあった調べても詳細が出てこなかった謎の車輪。

西松任駅

北陸新幹線金沢〜敦賀延伸と同時に開業された駅

小松駅

石川県3番目の人口を誇る都市小松市の中心駅

北陸本線時代は特急サンダーバードしらさぎのほとんどが停車していました。

北陸新幹線は基本毎日10〜14時台に東京方面行のはくたか、1時間置きに敦賀方面行のつるぎが停車。また東京方面は朝夜に2本のかがやきも止まります。

お旅まつり

毎年5月第2金曜日から日曜日までの3日間開催される曳山子供歌舞伎

発祥は江戸初期、京都祇園祭を見物した前田利常が参考にして始めたという伝統的な祭り。

現在使用されている曳山(山車)は江戸後期建造のものです。

スケジュール関係で滞在時間が1時間しか許されないので人混みをかき分けるように離脱。

材木町曳山の車

昭和中期のまで使われていた曳山の車輪

小松宿本陣跡

金沢から京都までを結ぶ北国上街道の小松宿本陣跡

加賀藩内の北国街道は主に商人用の上街道、金沢〜越後経由〜江戸と前田家の参勤交代用の下街道に分かれていました。

興善寺(旧丸岡城移築門)

昭和初期に小松市の火災に遭い境内は焼失。

復興の際、福井県坂井市丸岡城から山門として移築されました。

なおこの移築門は丸岡城のどこの門かは不明です。

小松城常盤門

稚松小学校に移築された小松城城門

塗装が綺麗すぎると思ったら最近塗られたっぽい。

芦城公園(小松城三の丸)

加賀藩主前田利常の隠居地として使われた三の丸跡にある公園

小松高校(小松城二の丸)

小松城二の丸跡にある小松高校

石川県内の公立高校では上から2番目の進学校です。

二の丸と本丸を繋いだ門跡付近

本丸天守台前の土塁

手前の道路は内堀跡で、かつては本丸から写真左の道の堀には橋が架けられていたといいます。

小松城本丸天守

小松城は安土桃山時代加賀一向一揆衆により築かれた砦で、その後は丹羽長秀家臣の村上頼勝、長秀長男の長重が城主を務めていました。

江戸期には加賀藩の持ち城となり、1度元和の一国一城令で廃城となりますが前田利常隠居時に再築し、金沢城の支城として明治維新まで存続しました。

本丸天守台に登る。

天守台から小松高校グラウンド方面。

小松高校のグラウンドは本丸跡に作られました。

本丸から内堀跡と中土居跡・牧島跡方面

空とこども絵本館(旧小松警察署庁舎)

昭和6年(1931)竣工の建物

走って乗車予定の電車にギリギリ間に合う。

間に合ったと思ったら遅延でこれ。

金沢ゲーマーズの営業時間が20時までなので、制覇した蓮ノ空スタンプラリー台紙を店員さんに渡して特典回収。小松滞在時間がめちゃくちゃだったのはほぼこれが理由。

8番ラーメン 金沢駅

北陸のソウルフードといえばこれだろ!ということで食べました。20時でも駅ナカということもあり20分ぐらい待ちました。

福井県大野市流刑時代に1回食べたぶりなので懐かし〜の思い出。

のんびりビールも飲んだけど富山方面の電車時刻が迫っていたので即退散。

 

この日の宿がある高岡駅まで移動。

高岡駅

宿にチェックインして気絶就寝。

翌日は朝から高岡市内散策と小矢部市倶利伽羅峠富山市内に向かいます。

 

𝓽𝓸 𝓫𝓮 𝓬𝓸𝓷𝓽𝓲𝓷𝓾𝓮𝓭…