ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

忍城訪問してきました

どうも、久々にPCのある実家からの投稿です。

先週行った東京埼玉の史跡巡り活動最後は忍城訪問です。

 

前回の続き

senri-nchu.hatenablog.com

 

senri-nchu.hatenablog.com

 

 

 

吹上駅

ここから行田市かと思ったらまだ鴻巣市

駅北口公衆トイレ前のバス停から「行田折り返し場」行きに乗車

本当は忍城まではとなりのバス停から「行田市駅」行きに乗ればすぐなんですけど、今回このバスの時間待ってると夜の予定に間に合わない…ってことであえて避けました。

佐間バス停

バス停近くにある行田市の歴史案内板

再訪時は蔵巡りもいいかもしれない

草生蔵

明治43年(1910)に建築されたという市内最古の石造りの足袋蔵

実際には昭和初期に建て直されたという説もあるそうです。

蒸気機関車「C5726」号

昭和46年(1966)12月に引退した蒸気機関車

このC57型はその形態の美しさから「貴婦人」という愛称が付いていました。

去年夏に始まった塗装のクラファンが成功したそうで、綺麗になったばっかりの車両です。

忍城

室町中頃に成田氏により築かれた城

関東七名城の一つで戦国時代には扇谷上杉氏や上杉謙信の侵攻、豊臣秀吉小田原征伐の局地戦「忍城の戦い」では城主代成田泰季・長親親子や甲斐姫らによる籠城戦が起きましたがどの戦でも落城することはありませんでした。

江戸期に入ると譜代大名が治める忍藩として明治維新まで続きました。

 

忍城縄張り図

元来沼地だった場所に築かれた平城

水堀は沼地を活用した造りになっていました。

城の東側、沼橋門曲輪(仮称)と大手門曲輪(仮称)を繋いだ土橋跡

イメージ的には写真中央の右左折道が橋跡で撮影地点と左奥は沼地

沼橋門跡

枡形跡付近

沼地を挟んで本丸方面

藩主隠居所跡

江戸後期の忍藩主、松平忠堯・忠国兄弟の隠居所

地図見ると後述する御三階櫓跡とは実際の場所が異なってるんだけどよくわからん(地図上ではすぐそばにある行田市コミュニティセンターみずしろ敷地一帯)。ら

御三階櫓跡の石碑

忍城南側にあった御三階櫓跡の石碑

ここも石碑がある場所と当時建っていた場所は異なり、石碑のある芝生広場南西部にありました。

枡形跡付近

勘定所跡

現在の行田市立忍小学校南側

成田門跡付近・三の丸跡

道路左側は三の丸でした

門跡

江戸期は道が現在の校門入った先にズレていました

二の丸跡

現在の忍中学校

太鼓門跡

蔀島跡

かつて沼地だった忍小学校校庭に浮かんでいた小島跡

模擬御三階櫓

当時の文献や絵図を参考にして外観だけ復興された櫓

内部は行田市の歴史を学べる展示室や市内を一望できる展望室として利用されています。

この櫓が前述の御三階櫓の石碑周辺にありました。

ちょっと寄り道

鐘楼跡

これも地図上だと実際の場所が南西の住宅地内なのでよくわからず

水堀跡

本丸東堀

よくみるアングル

かがまないと頭危なかった

模擬御三階櫓裏側

時の鐘

元は享保2年(1717)に伊勢桑名藩で鋳造された鐘

文政6年(1823)の松平家の桑名→忍移封時に城内に持ち込まれたものです。

現在吊るされている鐘は平成に入ってからのもので、当時のは本丸跡にある行田市郷土博物館に展示されています。

なお先述とおり、鐘が元あった場所はここではありません。、

内堀跡

現在の埼玉県道128号線

江戸期は道路左の建物から右の土塁?まで諏訪曲輪があり、内堀も右にクランクしていました。

反対側

吹上駅に行けるバス停があります。

こちらは道路奥まで内堀で右は諏訪曲輪跡、左は本丸跡です。

諏訪神社・諏訪曲輪跡

創建は諸説あるが忍城築城時にこの曲輪に諏訪神社遷座し、城鎮守として成田一族から崇敬を受けていた神社と曲輪

往年の忍城マップ

諏訪曲輪御門跡

突き当たり左を進むと二階櫓跡方面にでます

水堀跡と土塁

諏訪曲輪西

手前と奥の道は水堀跡

本丸西側と繋がっていた曲輪跡方面

本丸跡

本丸は大半を行田市郷土博物館が占めています。

忍城にあったという高麗門

忍城櫓の石垣

城内にあった櫓の石垣

忍城の櫓は三階櫓1棟、二階櫓2棟、多聞櫓1棟がありました。

伝・進修館表門

忍藩藩校の進修館表門と伝わる門

旧芳川家にあった門を城内に移築復元され、解体時に江戸後期の建立であることがわかりました。

行田市唯一の武家屋敷表門

本丸南側土塁

本丸西側土塁

二の丸本丸間の出入口跡付近

熊谷門跡付近

御三階櫓跡方面

熊谷門南側の曲輪跡

下忍口の曲輪跡

下忍口跡

左に行くと鷹場跡、右に行くと藩校跡

今回は藩校跡方面

この時点で吹上駅までのバスの時間が迫ってきてます

藩校進修館跡

文政7年(1824)に藩主松平忠尭が設けた藩校

藩士の子弟専用の藩校で、後身は現在の埼玉県立進修館高校です。

結局行きに乗ったバスには間に合わず、別ルートで吹上駅に行ける便があることを知りバス停まで歩く

写真は行田市西部配水場です。

新田入口バス停

これここまで歩かなくても忍城寄りからでも乗車可能だったらしい

ただ運賃がやや高めだったのでケチった結果がこれです。

この後は吹上駅に戻ってそのまま池袋に向かいました。

おまけ

※以下史跡巡り一切関係ありません

 

 

池袋に立ち寄った理由

Sizuk 1st Live

坂道系や女性声優などの作曲家として有名な俊龍がプロデュースする音楽プロジェクト「Sizuk」の1st Liveに参加。

前々からやるってことは知っていましたが、当日券あること知って史跡巡りと合わせていきました(同日開催してた斗光が好きな女性声優、菅野真衣さんのカラオケイベントはあほすぎてチケ拾わず干しました。本人のセトリヒントで警戒してたけどアイカツダイヤモンドハッピー歌っててさすがに大きい涙出た)。

 

今回、普段素顔をメディアに出さない俊龍本人がまさかの顔出しで参加。

さすが名曲しか生み出さない人なだけあって多芸でトークも面白い、イベントで本人も言ってたけど女性声優みたいな扱いされててよい。

これはどうでもいい情報ですけど、よく萌え萌えコンテンツのライブやアニクラ俊龍曲流れるとサビで某コール入れがち。

LINEをやらないだけで面白コール生まれたのわけわからんし本人認知済なのもやばい。

Sizukの歌唱担当AYAMEさんも歌強いし盛り上げ上手で愛嬌ある人で良いね~になった。

ライブも無限多動編で疲れた。

 

俊龍曲はどのコンテンツでもよいね!だけど個人的にはデレマスや小倉唯、リステのステラマリス曲あたりで履修するのがおすすめ。

それぞれ最低でも『Yes!Party Time!!』『Raise』or『Honey Come!!』『Stage of Star』聞けばこれ進研ゼミで習ったところだ!になることができます。

ゆいかおり茅原実里楽曲でよく作詞担当となるこだまさおりからのフラスタ

池袋の油そば

店員も客もアジア系の人ら多くてびびった、さすが池袋

史跡巡りしてからのライブ、最近はこのムーヴしかしてないなぁと思う今日この頃でした。