どうも、今回は旅行二日目で根室半島観光です。
前回の続き↓
【目次】
朝食と朝風呂を浴びて目的地の根室半島へ移動
朝風呂は気温9℃の展望風呂と快晴の阿寒湖で気持ちよくなりすぎた。
双岳台から見る雄阿寒岳
道の駅 摩周温泉
奥行臼歴史の里(旧奥行臼駅跡)
標津線は昭和8年(1933)開業で釧路本線標茶駅から標津町にあった根室標津駅を繋ぎ、この奥行臼駅は標津線中標津駅と厚床駅を結ぶ厚床支線の駅でした。
別海村営軌道は明治から昭和初期まで存在した北海道辺地の郵便や運送などを馬車で担った駅逓制度の一つ。昭和38年(1963)に機関車や客車を導入し、新しく奥行臼駅から上風連駅まで開業しました(8年後の昭和46年に廃線)。
両駅とも既に廃駅・廃線となっているも駅舎は現存しています。
標津線レール
標津線奥行臼駅跡
ホーム跡から中標津駅方面
電柱や駅名板が傾いてる
ホームから駅舎裏側
駅舎正面
駅舎内は当時のまま
駅舎から徒歩1分ぐらいの場所に駅逓で使われていた機関車や客車、転車台跡があるけど素で見落としてた
奥行臼駅逓跡
かつて別海町内にあった9つの駅逓で唯一現存する駅逓
昭和5年(1930)の駅逓廃止後、駅舎は旅館として昭和50年(1970)まで利用されていました。
ヒリカヲタチャシ跡方面
写真中央部分がチャシ跡
この撮影地点付近には他にもチャシ跡が多くあります。
納沙布岬
日本本土最東端の岬
国内の平地で一番早く朝日が見れる場所としても有名。
北方四島の地図
水晶島方面
国後島方面
寛政の蜂起和人殉難墓碑
寛永元年(1789)に和人に虐げられていたアイヌ人による蜂起「クナシリ・メナシの戦い」で死亡した和人71名の供養墓碑
1700年代後半は帝政ロシアの千島列島南下により、江戸幕府と実質蝦夷を藩領としていた松前藩の海防意識が高まる中で発生した事件でした。
そもそも松前藩統治下の蝦夷はほぼ植民地扱いされていて、日頃行われたアイヌ人に対する強制労働や不平等交易などは耐え難いものだったといいます。
北方館・望郷の家
北方領土問題啓発センター
施設内には18世紀後半から戦後までの日露関係資料展示、戦前の北方領土の生活案内、戦後の北方領土返還への取り組みの紹介など多くの展示があります。
日本最東端ポストもある
納沙布岬灯台
珸瑶瑁水道を挟んですぐ奥にロシアの実効支配下に置かれている歯舞群島水晶島と貝殻島灯台が見える
水晶島東部と萠茂尻島が見える(オドケ島も?)
ポンモイチャシ跡方面
手前の突き出た部分がチャシ跡だと思ってたら実際はもう1つ奥側にあった
オーロラタワー
2020年に閉館した展望台
かつては展望台から北方四島を見渡せる観光名所でしたが既に閉館。
たった三年でかなり廃墟化していました。
納沙布岬を後にして市内に戻ります
ノツカマフ1・2号チャシ跡
根室半島チャシ群跡の1つ
竪穴住居跡
ネイチャー
2号チャシ跡
海の奥には国後島
さすがに今回は訪問出来なかったのでまたリベンジしたいです。
1号チャシ跡
ノツカマフチャシ跡を後にして根室市内へ移動
この時道路をエゾシカの群が横断してて北海道を感じました(小学生)。
根室花まる 根室本店
都内や北海道にある回転寿司本店
KITTE丸の内と銀座は行ったことあるけど場所が場所だから平日でもありえないぐらい混んでた。ここは14時前で待ちなし着座。
ネタがどれもぷりっぷりでデカい
ホテルの夕食でも鉄砲汁飲んだけどこっちの方が濃い
一息ついて根室市内から釧路空港まで直行、約3時間かかりました
無事釧路空港に戻ってきた
タンチョウとシマエナガクッキーのアイス
復路はずっとフライトマップ眺めてて「宮古市沖か〜」、「花巻上空だったのにもう岩沼上空?」、「気づいたら久留里で旋回して木更津から羽田入るんだ」とか脳内トークしてたら着いてた
次北海道行くなら襟裳岬、宗谷岬、松前城のどれか行きたい(全部対極)
最後まで閲覧ありがとうございました