ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

腰痛だけど日帰りで北関東行った話 結城編①

本当は7/17、18に日光・会津方面行く予定だったのが16日に筋トレ中腰痛を発症して泣く泣く活動中止。

連休は家で大人しくしてそのまま予定は消滅の流れ...と思いきや、先日20日休み入れていたのを思い出し急遽日帰りで予定を組み北関東は結城市日光市栃木市足利市に行くこと決めました。

 

<行程>

7/20 (水) 北関東 茨城・栃木

  1. 横浜駅

  2. 結城駅

  3. 結城市内散策
  4. 栃木駅

  5. 東武日光駅

  6. 日光市内散策

  7. 栃木市内散策

  8. 足利駅

  9. 足利市内散策

 

<目次>

 

休日おでかけパスについて

休日おでかけパス
休日おでかけパス

今回の移動は『休日おでかけパス』を使いました。写真の範囲内のJR各駅を乗り降り出来る優れものです。

値段は2,720円。横浜→結城(小山)が片道1980円なので十二分に行き来で元取れます。

通常は土日祝のみ販売ですが、ちょうど20日から8/31まで夏季期間に入っていたので平日も購入可能です。

 

範囲外の駅に行きたい場合

せっかくなのでこの切符について一つ便利?な使い方をお伝えします。

群馬の高崎駅や栃木の宇都宮駅切符利用範囲外となりますが、それぞれ利用範囲最端駅の神保原駅自治医大駅からの運賃を高崎駅宇都宮駅有人改札で払って改札抜けられます。

 

ex.横浜から高崎の場合

利用範囲内 横浜→神保原

利用範囲外 神保原→高崎(250円を高崎駅で払う)

 

上記のとおりですが、これならわざわざ神保原で降りる必要はないですし安上がりでより遠くに行けます。

 

ただ、復路の場合は改札入退場が若干異なります。

これは去年、自分が同切符を使って横浜から前橋に行った際の帰路の実体験ですが、もちろん前橋駅は利用範囲外なので切符は改札通りません。じゃあどうするか

それは、有人改札で切符を提示し行先を伝えるだけです。後は下車駅で前橋→神保原の運賃を払うだけです。

 

意外と知られてそうで知られてなさそうなので、高崎や宇都宮行きたいと考えてる方の参考になれば嬉しいです。自分も先駆者の記事で知ったので

小山駅

横浜駅から上野東京ライン小山駅へ。

 

到着後は乗り換えで水戸線ホームに行きます。

以前水戸線乗った時は下館方面からだったので小山から下館方面乗るのは初めて。

小山駅水戸線ホーム

結城駅

ちょうど地元の学生たちの通学時間と重なってそこそこ混んでました。

結城駅北口

結城合戦記念碑

永享12年(1440)から嘉吉元年(1441)に今の結城市内で起きた室町幕府と結城氏など関東豪族との合戦、通称結城合戦の記念碑。

お墓の一角にあります。

結城合戦記念碑

Googleの口コミにも書いてあったけど、場所が微妙に分かりにくい。

県道16号を歩いて目印のラーメン屋の路地裏にひっそりとあります。

金太郎ラーメン

マップです。

www.google.co.jp

結城政勝公御影堂

金太郎ラーメンを通り過ぎ観音町交差点を左折、水戸線踏切を渡るとすぐ結城政勝公御影堂が見えます。

結城政勝は下総結城氏16代当主で養子に結城晴朝がいます。

御影堂内には政勝の木像が安置されていますが、一度御影堂ごと火災に遭ってしまい現物は明治時代に復興されたものだとか。

結城政勝公御影堂

曾我殿台古墳群

庚甲塚古墳

曽我殿台の地域に現存する二基の古墳の一つ。

庚申塚古墳

墳形は前方後円墳らしい
仙太郎稲荷塚古墳

庚申塚古墳を通過した先にあります。

仙太郎稲荷塚古墳

墳墓の上

乗国寺

宝徳元年(1449)に結城成朝が先代持朝の菩提を弔うために建立した寺院。

ここまで歩くと結城駅より隣駅の東結城駅の方が近くてビビる。

乗国寺
総門

江戸時代初期の創建

総門
江湖権興道場

江湖権興道場

結城持朝公墓所

結城持朝公墓所

とりあえず結城市東部の史跡はだいたい見れたので城跡方面に進む。

 

次の目的地の案内板

道中にあったベルギー料理店

地元にあったら多分通ってる。

松月院

結城晴朝が開基の寺院

松月院

慈眼院結城家御廟

 

前述の結城政勝創建の寺院、慈眼院の境内にある結城氏歴代の御廟。

案内板にも書いてある通り、御廟成立の時期は諸説あり、

  1. 政勝が隠居後に結城領内に点在する先祖代々の墓を当地に移して惣御廟を築造。
  2. 18代当主結城秀康が越前北ノ庄転封前に、結城氏ゆかりの寺院をまとめて越前に移転する際、各寺院の歴代の墓を移して築造した。
  3. 秀康転封後、この地域を治めた代官、伊奈忠次が領民懐柔政策の一環として築造した。

慈眼院結城家御廟

左から6代朝祐、4代時廣、2代朝廣、初代朝光、3代廣綱、5代貞廣

左手前から無銘、無銘(いずれか1基が政勝の子、明朝)、16代政勝、14代氏廣、12代持朝、10代満廣、8代直光

左手前1つ飛ばして7代直朝、9代基光、11代氏朝、13代成朝、15代政朝、無銘、妙仙(慈眼院関係者?)

 

続編↓

senri-nchu.hatenablog.com