どうも、今日は旧東海道川崎宿跡と東海道沿いの史跡巡りしてきました。実際は京浜急行雑色駅近くにある「たかの湯」に行くついでなんですけどもね。
川崎宿
江戸時代初期、長距離だった品川宿〜神奈川宿の間に、伝馬の負担を解消させるため新設された宿場。
徳川家康により多摩川に架けられた六郷橋が貞享5年(1688)に倒壊後、六郷の渡と呼ばれた渡し船の運賃で川崎宿は潤っていたといいます。
佐藤本陣跡
川崎宿に存在した三つの本陣の一つ
幕末には江戸幕府14代将軍・徳川家茂上京の際、同地に宿泊したという。
旧橘樹郡役所跡記念碑
大正2年(1913)に建てられた郡役所跡地
大正13年(1924)、川崎地区に市制が導入されたことで郡役所は廃止され、昭和初期には明治初期に名付けられた「橘樹郡」の名前も消滅しました。
小土呂橋親柱
昭和初期に埋め立てられた新川堀に架かっていた小土呂橋の親柱
新川堀は江戸時代に造られた排水路で、現在は暗渠化や埋立で窺うことはできないが往年の川崎宿には無数の水路が存在し近代でも使用されていました。
問屋場跡
中の本陣(惣兵衛本陣)跡
問屋場の向かい側にあった本陣跡
この本陣のみ江戸後期に廃業しました。
稲毛神社
平安末期の在地豪族・河崎氏館跡とも言われる稲毛神社
社伝では神話時代から古墳時代には勅願所として存在し、鎌倉時代初期には源頼朝の命で社殿造営、幕末には有栖川宮熾仁親王の進言でこれまでの「堀ノ内山王権現」から現在の「稲毛神社」と改められたといいます。
助郷会所跡
田中本陣跡
川崎宿本陣の中で一番力のあった名主田中氏の本陣跡
江戸中期の主人・田中休愚は江戸幕府に見出され幕府の治水事業や当時幕府管轄下であった六郷の渡船の権利を川崎宿に譲渡させ宿場の財政難を再建するといった農政家。
ラーメン二郎 京急川崎店
小ニンニク少なめ野菜アブラ、やっぱりここは大野菜マシか豚マシじゃないと腹膨れない。でろでろ麵は好き。
一年ぶりの訪問だったけど長髪店員髪短くなってた、あと久々に横の卓で「食べきれないなら後ろ詰まってるから早くどいてね(^^♪」ってセリフ聞いた。
六郷の渡と旅籠街案内
六郷橋駅跡
戦時中に営業停止になってから再開することなく、戦後の昭和24年(1949)に廃止になった駅。プラットフォームは現存し周囲から見学可能。
六郷一里塚跡
遺構はなし
一里塚の反対側には高札も存在していました。
六郷神社
平安時代後期創建の六郷地域の総鎮守
前九年の役の戦勝祝いで源頼義・義家が石清水八幡宮から分霊を勧請したのが六郷神社の始まりだといいます。その後は祖先に習い、源頼朝が奥州征伐の戦勝祈願をしたといい御家人・梶原景時により社殿が造営されたという。
江戸時代初期には家康も鷹狩帰りに何度か参詣したといいます。
頼朝寄進と伝わる手水石
旧六郷橋の親柱
井戸
手前は梶原景時寄進と伝わる神橋
COCOFURO たかの湯
今日の目的地
ここの無料券を貰っていて、期限が今月半ばまでだったので急遽訪問。史跡巡りで疲れた身体を労りました。
普段銭湯ではなかなか長いしないタイプだけど炭酸風呂で爆睡、サウナで瞑想を繰り返したら一時間強も滞在した。
ハイネケンがぶ飲み
生ビールも飲めるので近日再訪します。