ツイ史跡巡り部活動日記

史跡やお城、江戸藩邸跡巡り、 声優イベント感想。日記というより記録

大井町・北品川の史跡巡りしてきた

どうも、記事の更新とともにアイコンも変えました。自分のオリキャラ「斗光千梨」です、とても可愛い。

それはさておき、今日は午前中の用事を済まして午後から大井町と品川近辺の史跡巡りをしました。

 

<目次>

 

大井町駅

数年ぶりに大井町駅で下車。最後に降りたのは数年前にコミケで乗り換えした時だったはず。

レンガ塀跡

大井町近辺は近代以降に建てられた工場の遺構で煉瓦塀があるとちょくちょく耳にします。さっそくGoogleマップで調べるとレンガ塀がヒット。

すぐに直行するも面影なし。

 

2019年までは左の駐車場の黒い柵がレンガ塀として残っていますが(Googleマップ情報)、現在は撤去されてしまっています。そもそもその塀がなんの施設の遺構なのかも検索した限りでは出てこなかったので、残念というかもやもやが残る。

右の煉瓦アパートの出入口

伊藤博文別邸跡

気を取り直して次の史跡へ移動。幕末・明治初期に大活躍した伊藤博文の別邸です。彼の別邸は他に小田原や大磯、横浜の金沢区にありますが、建物もほぼ現存し整備されているのは金沢区のみ。

小田原と大井町は跡地だけで大磯は建物の保存状態が酷いらしいです。足利陣屋の移築門かな?

跡地の大半はマンション

伊藤学園

伊藤学園の"伊藤"は上記の伊藤博文が由来とのこと。今は小中一貫校だけど以前は別々で、その時代の出身者に郷ひろみ真田広之がいるらしい。

現在旧正門として残る門は、上記の伊藤博文別邸の門柱と門扉の移築物です。

旧正門

光福寺

伊藤学園から立会川駅方面に移動中あったお寺。

イチョウ

伝承では港区の善福寺にある逆さイチョウの枝を移植したといいます。ちなみに善福寺は初代アメリカ公使館だったのと近くにあるタワマンの形がおもろい印象があります。古写真もあってとても良い。

大井の井

大井町の大井の由来になったという井戸。

イチョウの前に井戸の案内板

立会川駅

駅近くにある城南信用金庫の支店に展示されてた古写真。多分6、70年代だと思うけどこういうのは大好きすぎるので展示感謝。

浜川橋

1600年ごろには存在した橋。勝島運河に架かっています。

ちなみにこの通りは旧東海道です。

坂本龍馬

青年時代の坂本龍馬の像。なんでこんなとこにあるんだ、と思ったら周辺に土佐高知藩の屋敷があったため。龍馬も脱藩前は一藩士としてここにいたんだと思うと胸熱。

土佐高知藩鮫洲抱屋敷跡

浜川橋のそばにあった高知藩屋敷跡。今は普通に住宅街。

最近まで抱屋敷の意味知らなかったんですけど、郊外の農村地域を武家が買収したり借り上げた土地に建てた屋敷・私邸のことを指すんですね。

浜川砲台の大砲

ペリー来航以降当地に設置された砲台跡。

大砲は再現。

土佐高知藩下屋敷

抱屋敷から徒歩数分にある高知藩下屋敷跡。こちらは公的な屋敷ですね。

幕末の絵図見てもこの屋敷より南にある大名屋敷は存在しないので、最南端の大名屋敷跡です。

下屋敷の門跡付近

下屋敷に存在した勝島運河から分かれた水路跡

ヘルマン坂

戦前にこの坂付近に居住していたヘルマン・スプリット・ゲルベルトが坂の由来だそう。どんな人か調べても出てこないけど何者?

薩摩鹿児島藩抱屋敷跡

幕末に土佐藩同様、農地を譲り受けた鹿児島藩抱屋敷跡。JRの線路をぶった切るぐらい広大な屋敷跡すぎて門跡まで移動するのやめた。

余談ですが、この案内板が存在する公園は『関ヶ原公園』といいます。

人の行き交う小道は立会道路。当時は勝島運河が表に出てたけど今は暗渠化しているのかな?

道路は当時の運河とほぼ姿が同じ。

来福寺

梶原氏館跡でもあるお寺。梶原氏といえば鎌倉時代初期の梶原景時がいますが、この梶原氏とは別の一族で戦国時代に大田区と品川区の領主だった梶原氏の館跡です。

伝承では景時やその子息とゆかりがあるらしいけどこじつけとして一蹴りされてるそう。

阿波藍商人墓標群

木芽の坂

農村と越前鯖江下屋敷跡の境界にある坂。

越前鯖江下屋敷

元々仙台藩下屋敷だったのが色々あって鯖江藩と交換された下屋敷跡。仙台藩下屋敷も隣接して存在しました。

京急上り乗ってると毎度見るすき家

鯖江下屋敷跡に存在する大井公園内古墳。一応正式な古墳とのことだけど案内板がなくて悲しい。

山内豊信

幕末の四賢侯の一人、土佐高知藩主山内豊信の墓。

陸奥仙台藩下屋敷

仙台藩下屋敷跡です。ただこの跡地である大井公園も屋敷替えした鯖江下屋敷内なので、鯖江藩移譲前の仙台藩下屋敷跡というのが正しいのかも。

恐らくこのマンション密集エリアが幕末の正しい仙台藩下屋敷一帯。

仙台坂があるなら鯖江坂もあってもよかった。

内藤外記屋敷跡

旗本寄合内藤氏の屋敷跡。今の埼玉県久喜市菖蒲町一帯の領主でした。

海晏寺

松平春嶽の墓

幕末の四賢侯の一人、越前福井藩松平春嶽の墓です。お墓には近づけません。

丸に三葵が打ち捨てられている。

大井町変電所

いつもツタで覆われている建物。

日本ペイント株式会社明治記念館

大井町変電所と同じく現存し大井町で最も古い煉瓦作りの建物。

今は分からないですが事前予約で内部見学出来たそうです。

天龍寺レンガ塀

大井町駅近くにあった東京毛織工場の煉瓦をこの場所に積み直した塀だそう。

清光院

豊前中津藩奥平氏と摂津高槻藩永井氏のお墓があります。元は肥後宇土藩細川・出羽天童藩織田氏の墓域も存在するも、最終的に整備されて先の二家のみ残ります。

奥平家墓域

品川区の文化財指定を受けています。

津高槻藩永井家墓域

荏原郡役所跡

品川神社

板垣退助の墓入口
板垣退助の墓

自由民権運動おじさんのお墓。そういえばこの人が戊辰戦争日光東照宮を焼き討ちすることを止めた人だった。

 

東海道品川宿近辺

本陣跡

品川宿本陣跡は公園になっています。来た時に怪しげな風貌のおっさんが煙草吸ってて治安悪って思った。

御殿山下台場跡

ペリー来航以降に東京湾沿岸部に設置された台場の一つ。

周辺の道路が当時の海と台場の境界の面影を残してて良い。ほぼそのまま台場の形になってます。

土蔵相模跡

幕末に活躍した人物ゆかりの地。横にはファミリーマートがあります。

問答河岸跡

往年は坂下った交差点付近まで海が迫っていました。

御船着場跡

こちらも明治初期まで京急開かずの踏切付近まで海が迫っていました。絵図を見ると船着場と書いてあるので多分そう。

北品川の大名屋敷群

因幡鳥取下屋敷跡・出雲松江藩大崎屋敷跡

松江藩屋敷跡

鳥取下屋敷の門跡付近。奥の住宅地は屋敷跡一帯。

近江水口藩下屋敷

跡地は三菱地所関係の施設があります。

武蔵川越藩松平家陣地跡

高輪四丁目一帯にあった屋敷跡。川越藩の上中下屋敷はそれぞれ

上:港区虎ノ門ホテルオークラ付近

中:港区赤坂サントリーホール付近

下:墨田区役所付近

なので、これらとは別に使われた屋敷でしょうか。

アイスランド大使館もあります。

交代寄合松平与次郎屋敷跡

同地にはセルビア共和国大使館があります。

大久保主税屋敷跡

書院番頭花房志摩守屋敷跡

豊前中津藩下屋敷

筑後久留米藩下屋敷